メジロドーベルに4馬身差で勝ったこの時のキョウエイマーチは、圧巻の一言だった。
ウマ娘を通じて改めて知られたことだけど、ドーベルは3歳春に、これまで担当していた厩務員・堀口良吉氏が病で亡くなり、安瀬良一氏に交代していた。
クラシックの最有力馬を急遽交代で担当することになり、安瀬氏にプレッシャーがかかる中、トライアルのチューリップ賞では、1番人気を裏切り3着。桜花賞は2着。
ドーベルひいきのファンからすれば、「ドーベルは順調じゃなかった」と言いたいところだろう。ここで勝っていれば、メジロラモーヌ以来2頭目の牝馬三冠になっていただけに、悔しさもひとしお…だろうて。
db.netkeiba.com けれど、マーチはマーチで、このとき8枠18番という最外枠を引いている。
実は阪神の芝1600メートルは、外枠が非常に不利であり、最内と最外で1秒半から2秒以上のタイム差がついてしまうとされる。それを物ともしない4馬身差の勝利だったんで、これじゃあどうやってもドーベルは勝てないぞ、と思った。
ところで、阪神の芝センロクについては、大川慶次郎氏が「京都の1600でやるべき」と提言していた。
(※もっとも、2006年の改修で、コースの問題はほぼ改善されたらしい。翌07年の桜花賞では、ダイワスカーレットVSウオッカの名牝対決で盛り上がった。)
”2006年のコース改修によって、(…)これにより、改修前のコース形態で問題とされていた点もほぼ解消され、特に枠順による有利不利が指摘されていた芝1600mは向正面の中ほどに発走地点が移されたことで、不満の声も聞かれなくなったとされる。”
※大川慶次郎氏の提言は、「大川慶次郎回想録」348~350ページ。文庫ではなく、文庫の底本になったラジオたんぱのハードカバー版である。角川文庫版でカットされた部分は、「文庫版あとがき」に記されている。
私は先に文庫版を買っていたけれど、たまたま古本屋でハードカバー(オリジナル)版を見つけ、280円と安かったので買っておいた。
1998年の本なので、文庫で丸々カットされた第17章「新世紀の競馬へ=私の提言」は、現在とはかなり事情が違う。先述した、阪神改修による芝1600コースの改善は、最たるものだろう。
そのため、17章は資料として参照するくらいだけど、それ以外にサクラローレルが海外遠征で故障したことや、初期ジャパンカップ(ペイザバトラーの88年まで)に対する回想など、なお価値の高い記述もあった。
また参照することがあるだろう。