馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

議論百出! あのナリタブライアンと大久保厩舎について。

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 「競馬場で公開調教」とまで言われた、楽勝レース。しかし、この後故障発生し、春シーズンは全休に。

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 1年後、こちらはナリタブライアンマヤノトップガン、前年とおととし両年度代表馬のマッチレース状態になり、名勝負として有名なレース。

 
 ただし、田原成貴元騎手は、方々で「あれを名勝負とは言わない」と不満げだった。「全盛期のブライアンは、もっと強かった」というライバルへの敬意があったものの、4歳(旧5歳、以下同じ)のトップガンは序盤にモタつくようになって、乗り方を模索している最中だったらしい。
 (5歳になると、追い込み戦法…、というかスタートしてからバタバタ追わず、トップガンがリズムを取り戻すまで我慢する乗り方が、功を奏した。)

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 それを裏付けるかのように、競馬評論家の大川慶次郎氏も、「八分の状態で勝ったレース」「名勝負ではない」と論じている(「大川慶次郎回想録」角川文庫の258~259ページ)。

 

 ナリタブライアンについては、やはり管理者・大久保正陽調教師のレース方針について、書く必要があろう(アグネスデジタルを書いたときに、ちょろっと触れた程度で済ませていた)。

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 もともと大久保厩舎というのが、調教では強く追わず、レースに使って馬を鍛えるというやり方をしていた。(厩舎で何もやってないわけじゃなく、人が馬に乗って歩く「乗り運動」に時間をかけ、その分ピシッとした追い切りをしないという、独特なメニュー)
 その中では、メジロパーマーがめちゃくちゃなローテーションを組まれながら、宝塚と有馬、二つのグランプリタイトルを持つ名馬に成長した。

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 とはいえ、宝塚の時、全く勝てると思われてなかったので、メジロ牧場の関係者が一人も競馬場に来ていなかった、というエピソードに表れているように、パーマーのような期待されていない馬だから、うまくいったと言える。

 
 大昔になると、シンザンが、頑丈だけれどズブい馬なので、たたき台としてオープンレースを使われ、コロコロと負けていた。

 予想家として大川慶次郎氏は、シンザンを預かる武田文吾調教師に批判的だった(ファンは出走している馬は勝つために仕上げられていると思って馬券を買う、という理由)。

 しかし、シンザンは大レースになると必ず勝つので、大抵の人は「武田調教師は名伯楽!」と納得していた。大久保厩舎の場合、95年秋にG1をたたき台として使ってしまったため、ものすごく批判された。

 90年代は、すでに坂路、ウッドチップ、プールと言った新しい調教施設が充実していた時代であり、トウカイテイオーは5歳の故障休養中、プール調教に専念していた(プールは脚を痛めずに筋肉を鍛えられる)。
 4歳までのレースを見れば、テイオーは中途半端に出しても負けるだけなので、一切ステップを挟まず1年ぶり・ぶっつけで有馬に出したテイオー陣営は、見事な判断をしたといえよう。
 ブライアンの挫折、またはテイオーやサクラローレルのような成功例が現れ、競馬界では「じっくり調整を重ね、満を持してレースに出す」というスタイルが確立していく。

 
 確かに、「勝つ」という目的からすれば、ナリブ陣営は間違っていた。

 もっとも、大久保調教師を擁護するわけではないが、名馬がレースを厳選する流れを嘆くファンもいた。
 4歳時のシンボリクリスエスが、故障などの理由もなく、4戦しただけで当初の予定通り引退したことは、ブライアンを引き合いに出して「綺麗に引退するよりも、醜くなっても走り続けてほしい」と書くファン(競馬ライター)がいた。(別冊宝島編集部「みんなの名馬読本」の25~26ページ)

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 最近では、コントレイルが、年3戦で引退したことが記憶に新しい。

 とはいえ(何度も「しかし」「とはいえ」と書いちゃう)、レースを絞り込めば、確実に故障やトラブルは少なくなるので、これもオールド・ファンの感慨となるだろうか…。

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