それにしてもタイテエムか…。名前くらいは知っていたけれど、この世代のことはサッパリ…。
「時代が古いから」と思いかけて、ちゃんと確認すると有名なTTG(世代)とさほど離れていなかった。トウメイより後輩だった。
リアルタイムで見ていた馬なら、古いか新しいか、前か後か間違えない。けれど、断片的な知識だけの過去だと、古いと思って古くないことがあるねぇ(馬に限らない)。
タイテエムの同期タニノチカラは、「20世紀の名馬」で80位に選出されている。知らない若いファンも多くなっていたろうに、ランキング入りしているのは、根強いファンの存在を感じさせた。
ちょっといい話、その1
タニノチカラが有馬記念で下したハイセイコーは、今から見ると飛びぬけた成績に見えない。が、決して人気先行の馬ではない。
圧倒的人気でダービー3着に敗れた「事件」が、競馬史として有名すぎるし、重賞勝ちが中距離までに集中しているけど、菊花賞ではタケホープ相手に、ハナ差の2着だった。
実はダービーの時は、皐月賞との間にNHK杯(のちにNHKマイルCに改編されたが、ポジションとしては青葉賞のようなダービートライアル)を使うきついローテーションで、疲労困憊だった。それゆえ、負けてなお強しと言われている。
ついでにタケホープも、ダービー、菊花賞、天皇賞・春の八大競争を3勝という立派な成績(けど顕彰馬になれませんでした…)。
このときのハイセイコーとタケホープは引退レースであり、最後の花道を飾らせようと良く仕上げられていたようで、4位以下に付けた着差は大きい。
ちょっと(すごく)いい話、その2
ファンの間で語り草となっているのが、現役最後の年となった1975(昭和50)年、6歳(当時の表記は7歳)の京都記念(春)。このときタニノチカラは、63キロという斤量を背負いながら、逃げて最後さらに突き放し、大差勝ちしている。
重賞を逃げ切り大差勝ちといえば、同じ70年代にマルゼンスキーの朝日杯3歳ステークス、98年の金鯱賞(サイレンススズカ)がある。
だが、現代の競馬ではそもそも出走すらあり得ない60キロ超えハンデで大差というのは、今後更新されそうにない記録だ。