馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

時を超えて名場面を演出した馬 ――地味なゼンノロブロイと、派手すぎたライバルたち。

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 ゼンノロブロイは、「地味だった」といわれる。その理由として、よくシンボリクリスエスディープインパクトに挟まれた世代だったのが指摘されている。

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 けれど、それだけじゃないんだな。さらに私の印象を言ってしまえば、このロブロイ君が負けたときの方が、主人公の派手なレースになっちまうんだわ。

 
 まず、3歳の有馬記念だよ。9馬身差で圧倒的な強さを見せたシンボリクリスエスの前に、3着に負けた。
 まぁここは仕方ない。古馬になり、クリスエスが抜けた穴を埋める存在として期待され、ロブロイはクラシックを競った同期馬とまとめて「4歳4強」と称された。
 ところが天皇賞・春では、横山典弘騎乗の10番人気・イングランディーレが大逃げを打つ中、4強は中団で互いにけん制したまま固まり、まんまとイングランディーレの逃げ切りを許してしまった。
 ただ、ロブロイは4番人気で2着に入っており(7馬身差だったけど…)、一応の面目は保った。
 セイウンスカイ菊花賞を彷彿とさせる長距離G1逃走劇に、「ノリを行かせたままにすると怖い」と再確認したファンも多いんでは?
 また、当時のファンは、「この世代弱いぞ」「しょせん、シンボリクリスエスに9馬身差で歯が立たなかった馬たちなんだ」とカンカンでいらしゃった。

 
 秋、ロブロイは、前年クリスエス9馬身差の圧勝で乗っていたペリエ騎手に替わると、馬の成長と乗り役がうまくかみ合ったようで、今までのジリ脚が嘘のような秋古馬三冠勝利を達成する。
 しかしここからまた、ロブロイは「主役になれない馬」「善戦マン」に転落する。

 
 宝塚記念では3着。勝ったスイープトウショウが、ひたすら派手だった。
 時代的に言うと、スイープはのちのウォッカダイワスカーレットや、ブエナビスタのような「強い牝馬」の先頭打者であり、また気性難で個性派筆頭にもなっていた。どうしても話題性で負ける。

 次走、ロブロイはイギリスに遠征し、インターナショナルS(G1)を選択。
 シンボリクリスエスは、海外遠征せずに4歳いっぱい走ってさっさと引退したため、ここで勝てばG1勝利数がクリスエスに並ぶ4勝になるだけでなく、クリスエスよりもインパクトある実績になった。
 が、惜しくもクビ差の2着。

 天皇賞・秋も2着。このレースでは、勝ったヘブンリーロマンス(そういえばこの馬も牝馬だ)の鞍上・松永幹夫騎手が、馬上で帽子を脱いで一礼し、スタンドを大いに沸かせた。
 このシーンは、週刊Gallopギャロップ)臨時増刊「平成競馬全史」の「ファンが選んだ名シーン」3位にも選ばれている。
 ジャパンカップでは3着。こんときはイギリス馬(所属厩舎がイギリス)のアルカセットが、89年にホーリックスが記録した世界レコード2分22秒2を0秒1更新し、場内が騒然となっていた。
 また、ハーツクライがタイム差のない2着に食い込んでおり、次走でディープインパクトを破る覚醒の予兆があった。

 
 そういう名シーンと、ど派手なレースの陰に隠れてしまったうえでの、だめ押し的なディープインパクトブームだった。
 ついでに言うと、ディープ三冠と同じ2005年は、シーザリオが日米のオークスをダブル制覇するという偉業を成し遂げ、これでもかというくらいロブロイを地味にするニュースが続いていた。

それから

 引退後、種牡馬としては、オークスを同着で勝ったサンテミリオンなどを出したが、それよりも個人的に「ペルーサの父親」というイメージが強い。

 出遅れ癖と決め手不足で、とうとうG1を勝つことなく、父に及ばない馬だったはずのペルーサ君。それがなんだかとっても、「ロブロイ産駒らしい地味さ」にあふれていた。
 しかし、「地味」も「見方を変えれば アイデンティティーさ~」なのでは? というわけで、ペルーサもマニアックな人気があった。

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 2015年8月、札幌日経オープンペルーサが5年3か月ぶりに勝利したとき、ファンが見せた異様な興奮、感激ぶりは、時を超えてゼンノロブロイが愛されるようになった証だ――、と思っている。

 

参考と関連

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