20年前というと、イングランディーレ(と横山典弘騎手)の春天か。
2004年、天皇賞・春。リアタイしてた一人として率直に言うと、ファン大勢のムードは「どっちらけ」だった。
去年クラシックの主役だった、ネオユニヴァースら4歳組が大コケ(ゼンノロブロイだけ2着に入り、総こけじゃなかったけど)した、というんでレース後掲示板は、騎手叩きとか「そもそも馬が弱い。前年シンボリクリスエスに9馬身差で負けていた連中だ」と荒れていたな。
※ノリさんも、のちに勝因の一つを「道中で有力馬が互いにけん制し合って、うまく逃げ切れた」と語っている。(ナンバーの横山親子インタビュー記事とか)
横山典弘「はっきり言って全然足らない」武史「アドバイスは聞く。でも…」 父子が明かす“3代騎手ファミリー”の親子関係 - 競馬 - Number Web - ナンバー
しかし、菱田騎手のように一人の若者を熱くさせて競馬界に導いたのなら、あのレースも「どっちらけ」で片付けていいレースじゃないんだなぁ、と20年越しにアンサーが出た気分ですね。
リアタイ勢じゃなく、後から回想や伝聞で知ったことだと、シービーやルドルフを差し置いて、ジャパンカップ日本馬初優勝という偉業を成し遂げたカツラギエース、ルドルフを差し切った「アッと驚く! ギャロップダイナ!」、ダイユウサク、パーマー、ライスシャワー、エトセトラ、予想外の事態に当時競馬場はシーンとしていたというからね。
しかし今では名勝負として語り継がれたりもしている。