【あなたに巡り会えて良かった】
— 競馬ラボ (@keibalab) 2023年5月20日
本日5月21日は、03年日本ダービーを勝ったネオユニヴァースの誕生日。2年前に惜しまれつつ亡くなったものの、産駒のサクラトゥジュールが昨日の東京11R・メイSを勝つなど、今も日本競馬に大きな影響を与えています。#競馬 #ネオユニヴァース https://t.co/hiUsC4Dycj pic.twitter.com/93dKKnG7d6
ネオユニヴァースという馬は、私の場合、関係者にもたらしたもの、競馬界に与えた影響の大きさで、記憶に残っている。
まず、同馬を管理する瀬戸口勉調教師は、すでにオグリキャップの半妹・オグリローマンで桜花賞を勝っていたものの、牡馬クラシックの優勝は、ネオユニヴァースが初めてだった。
オグリキャップの時は出走すらできなかった皐月賞・ダービーの栄冠を、やっと瀬戸口師にもたらしたのが、ネオユニだったのだ。
イタリア人のミルコ・デムーロ騎手が、同馬に乗って皐月賞で日本のG1を初制覇し、ダービーにも勝った。同時期、ペリエ騎手がボリクリとロブロイとジャングルポケットで秋G1を勝ちまくったことは、日本競馬界に外人騎手ブーム(みたいなもの)を巻き起こした。
この頃の外国人騎手というのは、短期免許の短期遠征という性質ゆえ、前記4頭すべてが乗り替わりでの騎乗になる。
それまで競馬界には、「その馬のことは、長く乗り続けた騎手が、一番よく知っている。安易な乗り替わりは良くない」という風潮があった。外国人騎手の大活躍は、いわばその常識や固定観念を破壊した。
デムーロ騎手らの活躍以前から、トップ騎手への乗り替わり例(大抵は岡部氏か武豊氏)は目立っていたが、「うまい騎手にどんどん替えていけばよい」という流れをより加速させたのは間違いない。
これに対しファンからは、「あのコンビが好きだったのに」とか「競馬がつまらなくなった」という嘆きの声も高まり、功罪あったかもしれない。