馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

この馬の名を聞けば、記憶がよみがえる。ネオユニヴァース、時代の残響。

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 ネオユニヴァースという馬は、私の場合、関係者にもたらしたもの、競馬界に与えた影響の大きさで、記憶に残っている。
 まず、同馬を管理する瀬戸口勉調教師は、すでにオグリキャップの半妹・オグリローマン桜花賞を勝っていたものの、牡馬クラシックの優勝は、ネオユニヴァースが初めてだった。
 オグリキャップの時は出走すらできなかった皐月賞・ダービーの栄冠を、やっと瀬戸口師にもたらしたのが、ネオユニだったのだ。

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 イタリア人のミルコ・デムーロ騎手が、同馬に乗って皐月賞で日本のG1を初制覇し、ダービーにも勝った。同時期、ペリエ騎手がボリクリとロブロイとジャングルポケットで秋G1を勝ちまくったことは、日本競馬界に外人騎手ブーム(みたいなもの)を巻き起こした。
 この頃の外国人騎手というのは、短期免許の短期遠征という性質ゆえ、前記4頭すべてが乗り替わりでの騎乗になる。
 それまで競馬界には、「その馬のことは、長く乗り続けた騎手が、一番よく知っている。安易な乗り替わりは良くない」という風潮があった。外国人騎手の大活躍は、いわばその常識や固定観念を破壊した。
 デムーロ騎手らの活躍以前から、トップ騎手への乗り替わり例(大抵は岡部氏か武豊氏)は目立っていたが、「うまい騎手にどんどん替えていけばよい」という流れをより加速させたのは間違いない。


 これに対しファンからは、「あのコンビが好きだったのに」とか「競馬がつまらなくなった」という嘆きの声も高まり、功罪あったかもしれない。