馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

真面目な話。競走馬の故障と、それを助長しかねない制度面の問題。

 トーセンスーリヤがレース中に故障し、(予後不良のため) 安楽死措置が取られたようだ…。
 8~9割競馬アカウントとしては、やっぱり競走馬の死亡事故というのは、スルー出来ない問題だね…。

 
 詳しい事情を何も知らない、ただの素人の一ファンとしては、安易に「きっとあれが悪い、これが悪いに違いない」とは言いたくない。
 (トーセンスーリヤについては、「地方競馬への転属が悪かったのでは」というつぶやきも見られたが、最近でも“JRA主催の”新潟競馬場で、グレートマジシャンがレース中の故障で亡くなった。地方に限らない。)
 しかし、馬の死亡原因について、マスコミの断片的報道だけで、ブラックボックス化してないかと、いちファンの私は思わざるをえない。

 
 一部の動物愛護団体からは、「競馬そのものが、人間の娯楽のために馬を走らせていて、動物虐待だ」という批判がある。
 日本人は(なんか不思議な)物分かりの良さがあるので、そういう意見は目立たないが、どうも欧米やオーストラリアでは、どんどん強くなっているようだ。
 フランスでは、サーカスでライオンを使役することや、イルカショーまで法律で禁止されたらしい。(「今すぐ」ではなく、「10年後には」らしい。その10年の間に、関係者は仕事の規模を縮小していって、別の仕事に就いてくれ、ということだろう)
 もちろん、競馬関係者やファンであれば、「競馬廃止論」は受け入れられないだろうが、こういった無くならない死亡事故に対し、原因の調査や責任の追及がしっかりしていなければ、「結局馬を走らせなければいいやんけ!」ということになる。

 
 JRAそのものは、「事故防止委員会」を設けて、競走馬の事故を予防しようとしているし、故障の割合も、昔より減っている。
 だが、「馬をレースに出すかどうか」の最終的な決定権は、馬主にある。
 プロである調教師は、あくまで助言する立場。馬主が厩舎に払うお金を「預託料」というように、調教師は「馬を預かっているだけ」の人。
 これは仕方がない。大金を払って馬を購入した(あるいは生産した)のは、馬主だからだ。
 ただ、法的な契約上そうなっていても、多少なりとも動物愛護とか動物福祉の精神を挟んで考えれば、馬主の一存で出走が決まるというのは危険な現実である。
 馬主がもしも、「いや、故障のリスクがあってもいいから、レースに出せ」という人だったら…。
 一部の勇気ある関係者といえど、決して固有名をあげずに語るが、現実にはそういう馬主もいるらしい。ここでもやはり、「ブラックボックス」状態である。

 
 また、アーモンドアイの管理調教師として知られる国枝栄氏によれば、そもそも制度面で問題があるという。国枝氏の著書「覚悟の競馬論」第6章であげられているのが、JRAの「競走馬事故見舞金制度」だ。
 名前の通り、馬がレース中に故障したら、関係者に見舞金が入る。国枝氏が批判するように、JRAの故障を研究・予防する姿勢と事故見舞金制度は、かみ合っていない。
 これでは先に挙げたような、「故障してもいいからレースに出せ」という悪徳馬主か悪徳調教師に、ますます「とりあえずレースに出しておこう」というインセンティブを与えることになる。
 やはりここからは、JRAにとって「馬主」は大事なお得意様であり、馬の事故が起きたとき、責任の所在を明らかにしたりするよりは、見舞金という形でこびへつらっているように思える…。

参考文献