馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

オグリキャップ伝説、本当に「雑草VSエリート」だったのか…?

 バンブーメモリー実装で思い出したんで…、久しぶりに長文かくわ。


 この時代の競馬について、よくオグリキャップは、「地方出身の雑草」馬であり、次々に現れたライバルたちは、「中央のエリート」「良血馬」と語られてきた。後段は少々疑わしい。
 確かに、同期でいえばサクラチヨノオーや、サッカーボーイは良血馬だと思う。

 チヨノオーの母・サクラセダンは現役時代にオープン戦を勝ち、牝馬としては上々の成績で繁殖入りした。サクラセダンの産駒、つまりチヨノオーの兄弟には、複数頭G1および重賞勝ち馬がいて、父は言わずと知れたマルゼンスキー
 サッカーボーイの父・ディクタスは、天下の社台ファームが、ヨーロッパから輸入した種牡馬の一頭で、母の父・ノーザンテーストは、サンデーサイレンス以前の大種牡馬だった。
 しかし、チヨノオーはオグリと対戦経験がなく、サッカーボーイは3歳(旧4歳)時の有馬記念、たった一回のみ。ほとんど「幻のライバル」といえる。
 それ以外だと、ヤエノムテキの父・ヤマニンスキーは、現役時代、重賞未勝利の平凡な成績だったが、関係者は「脚部不安で大成できなかったけど、素質があった」と種牡馬入りさせた。
 ヤマニンスキーの父はニジンスキーで、生産界において「マルゼンスキーと血統がほとんど同じ」という点が魅力になり、中小牧場の牝馬が集まってきた。結果的にマルゼンスキーの代替種牡馬として、十分な成功を収めているが、元は良血といいがたい。
 スーパークリークは、当時の感覚でも渋いステイヤー血統だったようで、G1を勝ったノーアテンション産駒は、クリークのみである。クリーク以外だと、重賞馬がぽつぽつ出たくらい。

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 オグリ時代の名馬は、サッカーボーイメジロライアンがG1馬を出してファンを喜ばせたくらいで、総じて不振だったが、それを「血統的に仕方ない…(泣き)」という人もいた。
 (地方に目を向ければ、イナリワン産駒のツキフクオー東京王冠賞を勝って親子制覇となり、それなりに活躍したものの…)

 
 大きな競馬界の流れで言うと、80年代末、それまでブイブイ言わせていたノーザンテーストに衰えが見え始め、一方、栗東トレーニングセンターでは、85年に坂路コースが完成するなど、意欲的で新しい調教方法がどんどん始まり、「どんな血統か」よりも「どんなトレーニングを積んだか」が強さを決めた時代だったといえる。
 92年クラシック世代になるが、象徴的なのが、坂路とスパルタトレーニングで鍛えられたミホノブルボン が、ノーザンテースト晩年の代表産駒・マチカネタンホイザを負かした菊花賞である。
 (※ちなみに、ブルボンの調教師として有名な戸山為夫氏こそ、栗東に坂路コースの新設を要望した一人。その他、橋口弘次郎氏や渡辺栄氏、複数の名伯楽が要望書に名を連ねていた。)
 距離不安、距離の壁を言われていたブルボンが、ライスシャワーに交わされ、タンホイザにも交わされかけながら、驚異の粘り腰で2着は確保した。


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 しかしブルボンとタンホイザの関係が、「雑草と良血」という視点で描かれることは、ほぼない。

 
 うーん…、タンホイザに限らず、マチカネ軍団が「良血」として認識されないんだよなぁ。

 たとえば、マチカネキンノホシは、アメリカ生まれの外国産馬で、父は米の無敗三冠馬シアトルスルー、母の父も米の名馬&名種牡馬のアリダーと、相当な良血なんであるが、名前の響きのせいか、全然良血っぽくない。

 そもそもなぜか和風の名前で、外国産馬ということすら気づかないファンがいるんじゃ?

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…というわけで、「マチカネ」は「マチカネ」というカテゴリーに収まっている。

 

 ※「オグリの時代は、血統の転換期だった」という説は、血統評論家の吉沢譲治・著「血のジレンマ サンデーサイレンスの憂鬱」を参考にした。この本は、斬新な切り口で競馬史を振り返っており、大変勉強になったものの、「血統」の観点から論じすぎているのが、評価の分かれるところか。

 血統でいえば、ノーザンテーストを頂点としたノーザンダンサー系の黄金時代から、じゃっかんの転換期(または戦国時代という)を経て、ブライアンズタイムサンデーサイレンスら新種牡馬に再編されていったことは理解できる。
 が、同書で言われているような「マイナー血統が活躍したのは、一時的に血統がレベルダウンしていたから」という説には、異を唱えたい。
 オグリキャップのドラマ性は、レース内容の濃さにも支えられていた。マイルCSから連闘で臨んだJCで、ホーリックスの世界レコードに(タイム差なしで)迫ったクビ差2着といった、みんな知ってる数々の名勝負を振り返れば、オグリ時代のレベルが低いなんて言えっこない。

 余談。
 ただ、89年クラシック世代が、その後(故障などいろいろあり)活躍しなかったので、90年競馬は88年世代ばっかり上位を占めるという、異様な年になっていた。
 これはちょうど、2000年クラシック世代のエアシャカールアグネスフライトが、古馬になってからサッパリだったので、01年もテイエムオペラオーメイショウドトウで延々とワンツー・フィニッシュしたのと似ている。
 ただし、最初に「オペ世代王国」の牙城を崩したのは、00年世代のアグネスデジタルである(外国産馬だからクラシックに出れなかったとはいえ…、マイルCSまでの成績は単なるダート馬だったんよなぁ。00年世代のとんでもない伏兵だったね)。

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 つづきはこちら。↓

inunohibi.hatenablog.com