馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

本当に「雑草VSエリート」だったのか?(2) 一方、キタサンブラックはというと…。

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 購入額を見てみよう。オグリは諸説あって、250万か500万。タマモは400~500万。

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 イナリワンは金額こそ載ってないものの、「当時の一歳馬の平均よりも少し高かった」(江面弘也「名馬を読む2」)とある。

 スーパークリークは810万円で、オグ・タマよりは期待されていたかもしれない。
 ヤエノが1300万。

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 うーん、ネットで拾える範囲の情報だと、かゆいところに手が届かない。そもそもヤエノムテキあたりだと、詳しく書いてある本や記事が少ない。
 (※それだけに、ギャロップの「週刊100名馬」シリーズが重宝されているのは、よく分かる。80年代後半~90年代の名馬が網羅されているからなぁ。保留していたが、メルカリやヤフオクで買おうかねぇ。)
 まぁとりあえず、今書けることで話をまとめておく。

 

 ヤエノムテキからオグリキャップ…、購入額に差がありつつも、それはグラデーション状で、大きな違いではないと思った。それより、個人馬主が中小牧場から買った馬が多いなぁ、という印象。
 秀作競馬漫画「じゃじゃ馬グルーミンUP!」でも解説されていたが、これは「庭先取引」と言って、いい馬を探す調教師、又は馬主が、直接牧場で取引する形態。
 人間関係を大事にする日本の競馬界では、いい馬は、まずこの庭先取引で売却され、セリ(競り)市は「売れ残りの寄せ集め」になりがちだったらしい。
 90年代になると、親の馬主名義を継いだ新世代や、バブルと競馬ブームをきっかけに新規参入した馬主の間で、そういう閉じたサークル(村)を作る日本を見限り、アメリカのセリ市で買う馬主が続出した。
 (※これまた90年代競馬の空気を伝える「じゃじゃ馬~」では、牧場経営者の父親とその息子で「××さんなんか、もうアメリカで馬を買うようになったじゃないか」と、いらだちの混じった会話が出てくる。)
 アメリカ競馬界というのはビジネスライクで、全く新参の日本人であろうと、金さえ出せばいい馬が買えたようだ。
 この時代、ヒシアマゾンタイキシャトルグラスワンダーといった強い外国産馬が目立つのも、自然な流れといえる。
 要するにオグリの時代は、競馬界がまだ牧歌的で、「雑草とエリートの格差も、そんな大したことない最後の時代」というのが私の考察である。

 

 では、時代がグッと近いキタサンブラックと、ライバルたちはどうだろうか。
 冠名「サトノ」の里見治オーナーは、セリ市で高値をいとわず落札することで有名な馬主さん。

 ウィキペディアによると、サトノダイヤモンドは「当歳セッションにおいてこのセール2番目の高評価[8]となる2億3000万円(税込2億4150万円)で里見治に落札された」という。(00年代以降は、日本の競り市も改善されていて、期待の良血馬が買えるようになった。)

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 ブラックについて、手持ちの本に購入額の情報はないものの、馬主は、顔なじみの牧場で買うことにこだわり続けた北島三郎氏。

 牧場長の梁川正普氏が、「いい馬だと思っていた」けれど、「(近親に活躍馬の少ない血統だけに)優先して勧められなかった」(「名馬を読む3」)というくらいだから、やはり安かったのだろう。

 もっとも、この時代になると、ファンが「雑草対エリート」という熱血ストーリーを求めなくなった、と思う。

 
 現役馬の中では、デアリングタクトも、そういう盛り上がり方は少数な気がする。
 デアリングタクトと言えば、「馬がインタビューに答えている(ように見える)」ネタ画像の拡散であったり、あるいは動画でUPされた馬のしぐさが「かわいい!」とか、そっちで話題を集める時代になった。
 オグリ時代の「雑草対エリート」は、やはり世相の反映、当時の価値観が投影されていたのである。

参考文献