馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

世紀をまたいだ「歌劇王」と疾風怒涛の対決 ――メイショウドトウとは。

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 ウマ娘メイショウドトウの育成実装が発表されたので、ドトウについて温めていた文章を投下する。ドトウとなれば、やはりテイエムオペラオーとの対決物語、なかんずく5歳の宝塚記念を語るしかない。

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 このレース、表向きは名レースとして語り継がれ、私も杉本清さんの実況「ついに一矢報いるか!?」が記憶に残っている。だが、ネットでは、「オペラオーが徹底マークとブロックの末負けた」として悪名高い。
 カンテレの公式チャンネルでこのレースがアップされたときも、コメント欄では「岡部が」「アンカツの~」と言われまくっている。

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 確かに、オペラオーがかわいそうといえば、かわいそう。

 ただ、和田竜二騎手はレース後、「下手に乗った」と反省していた。岡部幸雄氏といった偉大な先輩騎手に遠慮して、自分のミスということにしたのだろうか? 
 いや、必ずしもそうではない。
 このレースでオペラオーは、4枠4番を引いていた。絶望するほどではないが、囲まれやすい内目の枠だった。スタートは悪くなかったものの、そこから前に行くわけでもなく、中段にとどまっていたところを、一気に7番ダイワテキサスの岡部騎手、および5番トーホウドリーム安藤勝己騎手が囲みだした。

 汚いといえば汚いが、人気薄、または勝ち目の薄い馬が、人気馬を潰しにいくのはよくあること。汚いけど…。
 一方で、オペより内側の3枠3番メイショウドトウは、スタートからぐんぐんと前に行った。鞍上の安田康彦騎手は、「もうこれ以上負けたら、自分からドトウを降ります」と悲壮な覚悟と宣言をして乗っていた。

 
 逃げ・先行というのは、馬が強ければ難なく勝てる。若い頃の横山典弘騎手が、「ライアンが一番強い! ライアンが勝てないのは僕が下手だからだ」といい、これまで差し・追い込み一辺倒だったメジロライアンメジロマックイーンよりも先に行かせ、見事勝った宝塚記念は、まさにライアンの強さを証明したレースだった。

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 ところが、前を行くということは、挑戦する側にとってはマークしやすい形になる。目は顔の前に付いているのだから、後ろより前にいる方が見張りやすい。
 とはいえこのとき、オペラオーにマークが集中していた分、先行しやすい利があった。また、確かに「ドトウの方が強い」と思える要素がいくつかあった。

 5歳になって、初戦の大阪杯で4着に負けながらも、天皇賞・春で「覇王」健在を示したオペラオー。だが、この春天ですでに、上りタイムではドトウの方が上回っていた。 

 「阪神の2000メートルではオペが4着だったし、上りでドトウが勝つのなら、宝塚記念阪神の2200メートル)では、ドトウの実力を信じて押し切った方がいい」おそらく安田騎手か陣営には、そういう戦略ができていた。
 前に行ったドトウと、行かなかったオペラオーで明暗が分かれた――そう思ったが故の、「下手に乗った」というコメントではないだろうか。
 ただ、以降の秋古馬三冠戦では、先行してから直線で早めに抜け出すという「横綱競馬」のオペラオーが、アグネスデジタルに、ジャングルポケットにと、繰り返し差されて負けた。

 このころのオペラオーは、さすがに力が衰えていた、と多くのファンが見ている。

 
 オペラオーの引退レースとなった有馬記念は、オペラオーが5着に沈む中、最強世代の遅れて来た大物・マンハッタンカフェが、21世紀最初の有馬にふさわしい鮮やかな勝利を決めた。

 ドトウもこれが引退レースで、こっそり4着になって、オペに対して宝塚以来の先着を果たしていた。
 他の騎手からマークされるわけではない、絶対王者ではなくなっていたオペラオー。だが、最後の最後までドトウは、因縁のオペラオーと並んで走っていた。

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 その他参考にしたもの。

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