主な勝ち鞍、1991年の阪神3歳牝馬ステークス、92年の桜花賞、スプリンターズS。G1を3勝。
1966年創業の西山牧場に、初のG1勝利をもたらした名牝。また、1990年からG1に昇格したスプリンターズSを、92年に勝利し、黎明期のスプリント路線を盛り上げた功績もある。鞍上の河内洋騎手は、91年のダイイチルビーに続いてスプリンターズSを勝利。
今から見ると、2400メートルのエリザベス女王杯から、スプリンターズS(当時は12月開催)という1200メートルもの急な距離短縮に対応できた点が注目される。
河内騎手が、ニホンピロウイナーの時代から短距離の乗り方を心得ている名手というのもあったろう。(河内騎手は、1986年にメジロラモーヌで史上初の牝馬三冠を達成しており、「牝馬の河内」というニックネームもあった)
成長カーブは短距離馬によくある早熟型で、2歳から強かったけれど、3歳がピークだった。同期のサクラバクシンオーとは全盛期がずれているので、実力を競い合う場面はなかった。
小柄な体ゆえ、成長力に限界があったという見方もできるが、ヒシアケボノはブクブク太っていったのに別に成長したわけでもなかった。馬体というのはよく分からん。
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