ミスターシービーの父・トウショウボーイは、クラシック三冠がそれぞれ1、2,3着だった。
菊花賞以来の3000メートル以上だった天皇賞・秋では、序盤からグリーングラスと競り合ってスタミナを消費したこともあり、7着という生涯最低着順を記録している。
一方、TTG三強の内、グリーングラスは明らかなステイヤーだったし、テンポイントは菊花賞で「やっとトウショウボーイに勝てる!」という内容と順位(グリーングラスに阻まれたけど)で、両頭3000以上ならトウショウボーイより強かった。
トウショウボーイは、テスコボーイ産駒だけあって、軽快かつ圧倒的なスピードで勝っていたけれど、スタミナ面でじゃっかん弱かった。しかし、ミスターシービーが菊花賞を制し、仔世代で距離克服に成功した。
日本の競馬史で、こういう例は珍しくない。往年のファンは、皐月賞と宝塚記念を勝ったハイセイコーから、カツラノハイセイコ(ダービー、天皇賞・春)が出たことを覚えているだろう。
日本は「年々スピード化している」といわれる。むしろ仔世代で短距離が苦手になるパターンもあり、これはサッカーボーイ産駒のナリタトップロードとヒシミラクルが印象的。(いろいろな点で父親に似てない馬だった…)
…というわけで、サクラバクシンオーの孫・キタサンブラック の活躍も、決して不思議ではない。それでも、ファンの肌感覚として、バクシンオーの孫が長距離であんなに強かったことは衝撃で、一つの事件だった。
サクラバクシンオー の場合、時代の変化が大きいと思う。距離別のスペシャリスト化が進んだ時代の短距離馬であり、1800メートルまでにしぼってレースを選んでいた。
対してサッカーボーイは、ダービーと有馬記念に出ており、有馬は先頭のオグリキャップと小差の4位に入線した(繰り上がって3着)。サッカーボーイは、後付けで「まぁ長距離が苦手じゃない」といえたけど、バクシンオーはいえなかった。
歴代スターの前にかすんだ馬
89年に勝ったバンブービギンは、父がバンブーアトラス。馬主・生産者は共にバンブー牧場。(「バンブー」の冠名から分かる通り、バンブーメモリーもバンブー牧場の生産馬)
バンブーアトラス は、82年のダービーを勝った馬。神戸新聞杯3着の後、骨折で引退して菊花賞には出られなかった。
そのため、バンブービギンは「父が出られなかった菊花賞を勝った」「父の無念を晴らした」といわれたんだけど、ハイセイコーとカツラノハイセイコ、トウショウボーイとシービーの親仔物語の前にかすんでるっすね。(あるいはマルゼンスキーとサクラチヨノオー親仔)
岩元市三・元調教師が、騎手時代に八大競争を手にした時の馬でもある。(これが騎手として、唯一の八大競争勝利になった。岩元氏はバンブービギンにも乗っていたが、残念ながら未勝利で乗り代わりになっている)
岩元氏は調教師に転身してから、ポレールやテイエムオペラオーといった名馬を育て、まだ若い和田竜二騎手を乗せ続けた師弟の絆は有名になった。
テイエムオペラオーの馬主・竹園正繼氏は、小学校のとき同級生だった岩元市三氏がバンブーアトラスでダービーに勝っているのを見て、馬主を始めたという経緯がある。
そのため、未熟でオペラオーのもどかしい成績につながっていた和田竜二騎手に激怒し、乗り替わりを迫った時も、相手が岩元氏だったからこそ、西園氏が折れて受け入れたといえる。
「大物喰い」の系譜
92年のミホノブルボンは、シンボリルドルフ以来史上2頭目の無敗三冠がかかっていた。さらにさらに、無敗かつ1番人気、逃げ切りで皐月賞とダービーを勝った馬は、「幻の馬」トキノミノル(ダービー後夭逝したため、菊は未出走)とブルボンだけだった。
つまり、東京競馬場の入り口奥に銅像が立つほどの名馬「トキノミノル超え」がかかったとんでもない記録を、ライスシャワーが阻んだのだ。(あと、ブルボンの前行ったキョウエイボーガン…)
このときの京都競馬場については、「G1とは思えないほど静まり返った場内」とか、ライスシャワーが交わしたあたりで「悲鳴が上がった」などと散々に言われているけど、ワイはまだ競馬見てなかった。
後年、ディープインパクトが「無敗でクラシック三冠と有馬、四冠」という「シンボリルドルフ超え」のかかった有馬記念で2着になった時なら、リアルタイムで見ていたので知っている。まぁああいう感じ。
繰り返したくない
2009年はスリーロールスが勝利。鞍上の浜中俊騎手は、これがG1初制覇、結婚したばかりで、ゴール後付けていた指輪にキスをし、めでたいこと尽くしをアピールした。
ところが、ロールスの次走・有馬記念では、左前脚に深刻な故障が起きて競争中止。
浜中騎手は愛馬が「死んでしまう」と思って泣きじゃくっていたらしいが、一命をとりとめて引退した。(「競馬名馬読本DX」と「number 1012号」の記述)
最近多いような気がする競走中の心不全、突然死についてコラムで言及していたが、スリーロールスのような苦しむ競走馬を見たくない、という思いがあるのだろう。