ゴールドシチーが勝った時の「阪神3歳ステークス」と、ニシノフラワーやウオッカが勝った「阪神3歳牝馬ステークス」および「阪神ジュベナイルフィリーズ」は、別のレースだと思った方がいい。
1990年までは、関東の朝日杯、関西の阪神3歳ステークスで、それぞれ3歳(現在の表記では2歳)チャンピオンを決めておりました。
なーんでそんな番組編成だったかというと、昔は馬の輸送技術が低くて、関西馬が関東に、関東馬が関西に遠征するのは、馬に結構な負担がかかったらしい。そのため、東西に条件の似たレースを置いていたのです。
タマモクロス(ウマ娘)の関西弁キャラについて
ちなみに、(ゴールドシチーと同期の)タマモクロスは、なんであんな関西弁キャラなのだろうか。多くの競走馬がそうであるが、タマの出生地は北海道。
単に関西(栗東)所属の関西馬というなら、タマ以外にゴールドシチー、一つ下の世代にスーパークリークとサッカーボーイ(ディクタストライカ)というように、いっぱいいる。不思議だったんだけど、最近気が付いた。
タマモクロスは体質が弱く、3歳の6~7月に札幌で走っただけで、あとはずっと関西のレースに出ていた。4歳、空前の「芦毛対決」で盛り上がった1988年の天皇賞・秋が、なんと関東初遠征。
それを「関西への愛が強い」というキャラにされたのでは。
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参考文献を忘れていた。
また古い本になって恐縮だけど、むかし読んだ同書で、番組改編の意図や理由についてJRA職員にたずねた記事が勉強になった。