馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

オグリキャップはもちろんのこと…、タマモクロスが時代を代表する名馬である、これだけの理由。

 

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 さっきタマモクロスのことをしゃべったけど、冷静になれば私もリアタイで見てた世代じゃないので、調子に乗っちゃいけない。そこで、淡々とタマモクロスのことを語ろう。

芦毛の馬は走らない」の虚と実

 いいとっかかりは、JRAのかっこいいCMシリーズで流れた「芦毛の馬は走らない この二頭が出てくるまでは、そういわれた」(2012年)だね。
 江面弘也氏によれば、それ以前に大レースを制した馬は、メジロアサマ(まだ3200メートルだった頃の天皇賞・秋)、メジロティターン(同じく3200の天皇賞・秋)、プレストウコウ菊花賞)の3頭になる(「名馬を読む2」)。
 このうちプレストウコウは、マルゼンスキーの同期で、菊花賞馬としてよりマルゼンスキー伝説の引き立て役として、名が残ってしまった。マルゼンスキーが3歳(現在の数え方。当時は4歳表記。以下全て同じ)の6月、日本短波賞を予想通り楽勝したが、その時の2着がプレストウコウだった。
 それが4か月余り後、菊花賞を勝つんだから、「あぁやっぱりマルゼンスキーはすごいなぁ」という覚え方をされた。
 メジロアサマ種牡馬としてティターンを送り出し、ティターンメジロマックイーンを送り出し、親仔3代の天皇賞制覇を達成した。私らの世代だと、「マックイーンの父と祖父」という覚え方になり、現役時代のことは詳しくないなぁ。

 他の毛色でもっと名馬がいるのに、芦毛だとこの3頭…、というのは確かに物足りない。

 
 タマの父・シービークロスは大レースこそ勝てなかったが、気持ちのいい追い込みと白に近い芦毛の綺麗な馬体で、人気あった名わき役。
 どの世界でも、「父を超えるプレーヤー」という物語にファンは弱い。それが特徴的で目立つ芦毛、父譲りの強烈な追い込み型ならば、もう人気が出るのは当たり前。
 80年代末に、タマモクロスオグリキャップが現れ、オグリ引退と入れ替わるようにマックイーンが、ファンに語り継がれる名馬になった。時代の不思議なめぐりあわせと言えよう。
 実はオグリキャップの祖父で、アメリカの歴史的名馬であるネイティヴダンサー(22戦21勝、2着1回)も芦毛だった。
 ネイティヴダンサーは、直仔よりも孫・ひ孫世代から名馬が出ており、直系にフランスの至宝・ヨーロッパを代表する名馬のシーバード種牡馬として世界的に成功したミスタープロスペクター、母系の方でノーザンダンサーが生まれた。(ネイティヴダンサー自身の年間種牡馬成績は、2位が最高。以上は石川ワタル「世界名馬ファイル」より)
 ただなぁ、馬券オヤジが50年代の海外名馬知ってるわきゃねーし(偏見)、「芦毛の馬は走らない」と思われても仕方ないな。

オグリキャップの血統構成とは

 よくオグリキャップも、「無名の血統から…」と言われたが、ファンの間で神話化した語りほどひどい血統ではない。
 母のホワイトナルビーは、笠松競馬場で8戦4勝。当時まだ大学生だった稲葉裕治氏が、牧場に来ていた鷲見昌勇調教師に、「卒業したら家に戻って牧場をやります」「先生のところにいい牝馬がいたら、ウチに入れてくれませんか」と願い、やって来たのがホワイトナルビーだった。
 ナルビーの母系をさかのぼると、天皇賞を勝ったクインナルビーがおり、稲葉氏は鷲見調教師の「見どころがある馬」という話を聞いて、笠松まで見に行ったこともある。
 だから、取材に対して稲葉氏は、「大した血統じゃない」という評価に「当時は癪に触りました」と語っている。(河村清明「時代を駆け抜けた優駿たちのルーツを辿る旅」)

 オグリの父・ダンシングキャップは、ヨーロッパで走って20戦5勝、重賞勝ちはなかったが、日本でG3~地方重賞の勝ち馬を何頭か出していた。
 ついでに言うと、6戦0勝だったが、「血統がいい」という理由で輸入されたマグニテュードから、ミホノブルボンを代表に4頭のG1級優勝馬が出ている。

 これらの種牡馬は、ヨーロッパより日本の水があっていたのか、日本競馬が欧米よりレベルが低いから通用したのか…。

 
 オグリやブルボンの産駒に目立った活躍馬はおらず、これを血統論者は「サンデーサイレンスら海外の一流馬産駒に勝てなかった」とまとめている。
 そんな、競馬ブームを担った名馬が不振にあえぐ内国産逆風の時代にあっても、タマモクロスは重賞勝ち馬をコンスタントに出して、中堅種牡馬として健闘した。
 結局G1馬が出なかったので、直系は残らなかったが、もともとシービークロスに大レース勝ちがなく、タマモクロスを作った錦野昌章氏ら中小牧場の導入がなければ、埋もれていたような馬だった。

タマモクロスVSオグリキャップ

 タマモクロスは、スターホースの条件をそなえていたが、オグリキャップはもっとスター性に恵まれていた。
 オグリキャップ視点から見た場合、中央で敵なしの連勝を重ねた先に、1歳年上で同じ芦毛の最強馬が立ちふさがってくるなんて、できすぎた話だろう。
 生産者、調教師ほか、関係者の努力で名馬が生まれていく。しかし素晴らしいライバルというのは、(個人が)努力してできるわけじゃないので、生産者の不幸(牧場が潰れた)とは別に、「芦毛の時代」というのは幸運だった。

 

 

 


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