俺っちがドヤ顔で語るのもなんだけど、「朝倉義景(様)は一族(または家臣)をまとめきれてない様子」っていっても、この時代はそれが普通。この前「英雄たちの選択」で、呉座勇一氏がスパッと言ったように、「信長が異常」に尽きる。
中世の武士というのは、もともと都から地方へ出向した役人(国司)が組織した兵士や、朝廷につかえる地方出身の豪族が母体。偉いのはあくまで朝廷だが、12世紀初頭から国司の地方赴任が形骸化し、武士が地方の実力者になった。(五味文彦「武士の時代」、3~8ページ。)
鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)を描いた歴史漫画、たかぎ七彦「アンゴルモア」では、主人公が「一所懸命」を強調している。これは中世の武士たちが、自分の所有地(一所)を命懸けで守ったことに由来する四字熟語。
(派生形として「一生懸命」がある。現代のわれわれには、「一所」より「一生」の方が分かりやすいが、本来は誤用らしい。)
戦国時代の大名も、基本的には地方の武士が、外敵を警戒する中でより大きな勢力単位として結束しているわけで、まず自分の土地を守ることが大事。
ところが信長の場合、耕地の生産力など土地の価値を算定する独立した部署を設けて、武士が直接年貢を取り立てることを禁じた。さらに、家臣の所領を頻繁に転封(配置替え。たぶん、サラリーマンに転勤を命じるような感覚でやってる)したりして、土地との結びつきを弱めた。
こうなると武士は、自分の領地を大事にするよりも、人事権を握る信長に忠誠を示すことが重要になり、信長に対する功績競争が始まった。
信長がしばしば「独裁者」としてふるまったのは、彼の個人的な性格だけでなく、それを可能にするシステムを作ったからだった。
(ただ現在では、信長だけでなく、一部の有力大名も似たようなシステムを構築していた、という研究が出ている。)
参考。
前にも挙げた、藤田達生氏の信長本。また、信長・秀吉・家康によって完成された中央集権体制を簡潔にまとめたものとして、アンドルー・ゴードンの通史「日本の200年 上」。
武士たちが武勇を誇っていた戦乱の時代から、行政官僚へと人材転換していく節目を描いた歴史漫画、岩明均「雪の峠」(短編なので、別の短編「剣の舞」とで一冊)もあげておきたい。
余談として、戦国大名が把握に努めた土地の価値は、貫文という銭の単位で記録されていた。これは銅銭の普及という時代背景が大きい。
室町時代に中国と正式な国交を回復して活発になった勘合貿易(日明貿易)は、国内にも大量の中国製銅銭を流通させ、日本の商業経済が発展した。(村井章介「分裂から天下統一へ」、第1章の2「戦国大名と分国法」)
数字で測れる「カネ」の力が大きくなれば、土地だけでなく、すべてをカネに置き換え可能になる。これは私の想像だけれど、武士が茶器といった高価な美術品に関心を高めていたのも、貨幣および商業経済の発展と関係するだろう。