当時、原作漫画を読んでいた誰もが、そして私も、アシェラッド突然の死に衝撃を受けた。
しかし、今までの言動からわかるのだけれど、アシェラッドは必要とあれば自分の命も捨てる覚悟ができていた。年老いた(そしてたぶん、ヴァイキングとして手を汚した)自分よりも、真の王たりえるクヌートや、故郷ウェールズの方が大事だった。
というわけで、アシェラッドが死んだのは、「そのとき」が来たからにすぎない。
「アシェラッドの活躍をもっと見たかった」という読者は多いだろう。ネット上の評判を見ると、アシェラッド退場以降の原作の展開は、賛否両論だったりする。
しかしこれは、アシェラッドが最後にトルフィンに対して語ったように、「真の戦士になれ」という話であって、アシェラッドの話ではない。
アニメの最終回タイトルは、「END OF THE PROLOGUE」(プロローグの終わり)。プロローグというには長かったわけだが、言いえて妙である。この話が「真の戦士に成長する話」(またはヴィンランドに到達する話)だとすれば、主人公はまだスタートラインにも立っていなかった。
多少誤解と勘違いの入った「父の敵を討つ」という目的を見失って、ようやく「トルフィンの物語」が始まるわけである。
ただまぁ、それまで話を引っ張っていたアシェラッドは、屈折が大きいからこそ魅力的というか、善玉になれないからこそ印象的、という存在だった。まだ見てないけど、今年話題になった映画「ジョーカー」とかも、たぶんそうだ。