馬と鹿と

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

違和感が大きかったものの、ミオリネの演技を考察してみる。「機動戦士ガンダム 水星の魔女」17話「大切なもの」の感想。

 終りの方で、スレッタに対し「弾避けになってくれた」だの「水星から来たお上りさん」だの、必要以上にきついことを言っているミオリネに、違和感がぬぐえない。
 が、大河内一楼氏の脚本は、過去作でもそうだった。

 

 (※昔のアニメだけど、一応ネタバレ注意)
 「コードギアス」1期終盤では、それまで積みあがってきた関係がぶっ壊れる悲惨な展開をするのだが、ギアス能力の暴走、いわば事故であり、主人公・ルルーシュが意図してやったわけじゃなかった。
 それでもルルーシュは、「狙ってやった」ということにして、無理してヘイトを受け止めようとした。
 本当のことを言って素直に通じることはないだろうが、「悪役を演じる必要あるんか?」と思った。
 まぁ、とにかく大河内脚本では、登場人物がそうなるってことよ。

グエルとミオリネ

 1話の、ミオリネの菜園を荒らしていた粗暴なグエルの姿も、もともとジェターク寮生や弟・ラウダに慕われていたことを考えると、言うことを聞かなさすぎるミオリネに業を煮やした悪ぶり演技だったのだろう。
 あれはなかなかうまい構成だった。視聴者の初印象が、「傲慢で性格最低のお坊ちゃん」だったグエルを、徐々に好漢として見せていくストーリーが面白かった。
 しかし、17話のミオリネはなー…。

 深読みすると、「父親の悪い点を真似る」という癖で、ミオリネとグエルには共通性がある。グエルは傲慢にふるまってしまうし、ミオリネは本心を明かさないで、冷たく突き放してしまう(1クールの終わりにも、スレッタとの関係がそうなりかけていた)。
 スレッタとは全く別タイプだけれど、これも親の悪影響か。