馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

最高裁裁判官の国民審査の重要性。

 そういえば衆院選にともなって、最高裁裁判官の国民審査があった。「あった」とようやく思い出すくらい、影が薄い。
 実際、これまで国民審査で罷免された例がないというのが、制度の形骸化を物語っている。よく「司法・行政・立法の三権分立」といわれているが、総理大臣は国会議員の指名投票で決まるし、最高裁判所の長官と裁判官は内閣の任命で決まるので、三権は分立などしていない。
 現行の裁判員制度は、一審までなので、司法に市民感覚を反映させるには不十分である。国民審査でおかしな判決を下した裁判官や、権力におもねる裁判官を罷免できないならば、任命権を持つ内閣と癒着する危険性が容易に存在する。
 (他に国民は、重大な職務義務違反、職務怠慢のあった裁判官を国会の訴追委員会に訴追請求することができるが、こちらの制度も形骸化している模様。)

 本来なら、行政に対する健全な司法の独立を保つため、衆院選と同じくらい関心があるべき国民審査。