馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

「大東亜戦争」の前に、ぼやけた日中戦争を考えよう。

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 「ニュース女子」で、「大東亜戦争侵略戦争だったのか」という特集をやっていた。黄金色のけばい背景と、露出度高い服装の女性陣という絵面が、「美女をはべらしておっさんがニュースを語る」という低俗さを醸し出しているが、内容もやっぱり面白くなかった。

 最初の切り口は、「解放戦争」という見方に対して、中国での戦争を継続したかったという背景を示し、なかなか良かったが、出演者がそれを無視して語りだしている。

 「敗戦国だから、戦勝国歴史観を押し付けられた」とよくある主張をする一方、「マッカーサーが日本の自衛戦争だったといってる」(これもよくある俗説)と相互に矛盾した話も飛び出し、収拾がついていない。こういう出演者が居並ぶ形式だと、どうしてもね。

 私も、矛盾の指摘に血道を上げてはいけない。それはやりやすいせいか、よく言われるが、自分もたいていやらかしているので、自分を嫌う誰かから過去の言動との矛盾を指摘されて終わるのがおちだ。

 もっと本質的なことを考えるに、無駄に残虐性を念入りに解説された通州事件と、日中戦争の扱いである。たいていの右翼において、日中戦争の位置づけはぼやけている。

 通州事件などの残虐事件が、「暴支膺懲」(乱暴支那を懲らしめる、という意味)というスローガンになって、日中戦争の理由になった、という解説がされている。それはその通りなんだけど、「暴支膺懲」とその後唱えだした「アジアの解放」は、実は全く違うくらいの論理転換が起こっている。

 通州事件は「中国人」が起こした事件だが、彼らは冀東防共自治政府の保安隊であって、国民党とか「中国政府」の事件ではない。「乱暴な中国人」を懲らしめるというなら、日本に反抗する中国人を一人残らず処刑するまで、戦争は終わらないだろう。

 戦争の泥沼化を受けて、近衛文麿首相は1938年に日本と満州国・中国の連帯をうたう「東亜新秩序建設」声明を出すが、近衛本人が本の中で、戦争が長引く中で日本人が、「共産ソ連」「英米の勢力」との険悪な情勢に思いをいたし、「アジアは一体なり」という自覚を呼び起こした、と書いている。(筒井清忠近衛文麿」、203ページ)

 インドネシアスカルノが感謝しているとか…、それはせいぜい、「局地的にそういうこともあったね」という話。東南アジアよりも、まず日中戦争の推移を把握して、「当時の中国人がどう思ったか」ということが重要なはずだ。

 

曲がり角の先に

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 「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ」

 ――「赤毛のアン」名言集から。

 今日のツイッタートレンドは、「ヴォイニッチ手稿がついに解読された」という話題で持ちきりだ。もともと、オカルトマニアや神秘好きなオタクには有名なヴォイニッチ手稿だったらしいが、私はその方面に疎くて、知ったのも最近のことだった。

 ちょうど去年の9月10日、こう書いている。

http://twilog.org/inunohibi/date-160910

 「これはすごい」「絵は下手なのに、見てるとだんだん怖くなってくる。ホラーゲームのような、作り手が意図的に人を怖がらせるものとは違う。そこに得体のしれぬ怖さ。久しぶりにマジモンのまがまがしいオーラを感じるわ。」

 正体は、単に当時の医学(というほどでもない健康法)や薬草学を寄せ集めた本だった、という。こんなコメントしちゃってて、は、恥ずかしー。

 よく考えれば、「解読されてない文章と、不気味な挿絵だからすごいものに違いない」というのこそ、素人目の先入観だった。動画で紹介されていた手稿に対するもろもろの説も、「実験観察のメモ」だったり、はたまた「単なるねつ造」「単なるでたらめな文字列」だったり、誰も「すごい内容だ」とは言ってない。

 オカルト好きや、創作物の世界だけで、「そこに書かれていることは・・・」と虚像が膨らんでいた感あり。私たちの中にある、「まだわからないものは、きっと良いものに違いない」という「赤毛のアンの好奇心」が、ヴォイニッチ手稿を魅力的にさせていた。

 アンはこうも言っている。

「これから発見することがたくさんあるってすてきだと思わない? もし、何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ」

https://matome.naver.jp/odai/2141074236721027901

アニメ「魔法陣グルグル」第8話

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 「にけや」の流れには、細かい突っ込みどころがある。ガタリがやすやすと啓示をしたがらないのはいいとして、なぜ大金を吹っ掛けたのか。人間嫌いで山奥に住んでいるのに、金を使う機会があるのか。また、ケムケムが家に運んできたアイテムは、ニケたちの自由にさせているし、気前がいいんだか悪いんだか、よくわからない。

 けれど、「にけや」のてん末とその後判明するオチは面白かったし(このアニメだと次回)、作者が「にけや」をやりたかっただけ、ということかな。

 まぁそれは気にしないとして、オヤジのわきの下おにぎりは危険なギャグだった。私の母は、ギャグの面白さと衣装などのポップなセンスに感心して、私が持っていたグルグルのコミックスを読んでいたが、「生理的にダメ」と脇の下おにぎりに激しい拒否感を示して、読むのをやめてしまった。

ツイよ、さらば。

 精神的に追い詰められて、発作的にツイッターを退会したが、さすがにそれはまずいと思ったので、ログインだけはした。

 最近は体の調子がずっと悪かった。初歩的な医療情報と経験的な感触から言って、胃腸にウイルスが残っていて、些細なことで繰り返し腹が悪くなる。予定も滞って、精神的にも参っていた。

 しかしまぁ、ツイッターも潮時だなぁ、と思っていたのだ。断続的に起こる、絵師のアカウント凍結騒動。これからどんどん、ツイッターを宣伝・報告その他、形式的な使い方で済ませるものが増えるだろう。

 私も、ツイッターを始めた初期はすごかったリツイートやお気に入りの数が、この1,2年で激減した。無名の拙文でも回覧されるボーナス状態は終わった、ようだ。

 そうなると、ツイッターの機能そのものは使いこなせていないだけになる。他人とコミュニケーションするより、本を調べてぶつぶつ一人語りするのが好きな性格なので、全然ツイッターである意味がねぇ。長文を分割するのが、めんどくさいだけのツール。

 タグやトレンドで大喜利大会を始める流れも、一時期は面白かったが、今は思いついたことは「すでにやられている」ばっかりで、ハードルが上がりすぎている。辛口のオタクに呆れがちな「なろう系小説」だが、全体的なレベルの低さが敷居の低さとして、活気になっていることは言える。

 というわけで、ツイッターとブログの二重投稿をやめて、これからは拠点を限定する(かもしれない)。

 

アニメ「魔法陣グルグル」第7話

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 ここで、キタキタオヤジが再登場。オヤジが「アドバーグ」という本名で呼ばれているのは、この一回だけだったような気がする。

 元町長だったら本来町の長老格のはずだが、扱いは低い。みんなの「オヤジ」「オヤジさん」という呼び方は、他人行儀な距離感がある。次回から登場するトマも、同郷のはずなのに一貫して「オヤジ(さん)」。

 キタキタオヤジ、トマと出たので、そのうちザザやミグも再登場するかと思っていました…。(漫画の「2」でようやく再登場したけど)

 原作後半はオヤジのギャグが空回りしていたが、このころは腹が痛くなるほど面白かった。思うに、すぐに踊りをやめさせられた初登場からして、「どうでもいい脇役」だからこそ、妙にしぶとかったり話に絡もうとでしゃばるのが笑える。準レギュラーに定着してしまうと、かえってキャラが薄くなるのか。

田澤類「メガロポリス・ノックダウン」 最終回(打ち切り?)

 最終回から間があいたけれど、「メガロポリス・ノックダウン」の話。

 早く終わることを歓迎していた私でも、あの「いかにも打ち切り」という最終回は、不満な人が多いだろうな、と思った。

 敗因は何だったんだろうか・・・? これが部活でサバイバルゲームやってるギャグマンガだったら続いていた?(それは「さばげぶっ!」) これが異世界に転生した戦記物だったら続いていた?(それは「幼女戦記」) 

 FPSに興味のない人間としては、ときどきゲーム内容の描写が細かすぎると思った。これが小学校の同級生との百合要素なんかも盛り込んで、もっとゆるふわな内容だったらアニメ化まで言ったような気もするけど、そうなるとこの作品の個性はなくなるし、私も読み続けていなかっただろう。

 お疲れ様でした。