馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

生活保護受給者のデータと、すぐにできる福祉。

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 先日の記事だが、「家族の扶養義務」を批判した一般的議論には、「家族だから、(福祉の役人よりも)親身になって寄り添える」という別の一般論を招くことが分かった。
 私見では、そういう家族主義そのものが、すでに古臭くて時代遅れに見える。たとえば近年ヒットした「逃げるは恥だが役に立つ」も、話の中心はガッキーがかわいいラブコメに過ぎないが、「家族だから無償で支えあうべきだ」といった家族道徳や家族主義をナナメから切った設定が面白かった。このドラマが受けたことは、日本も捨てたもんじゃないな、という明るい材料に見える。
 一方で、たぶん2ちゃんねるみたいな俗悪なウェブサイトに洗脳されていると、生活保護が「不正受給だらけ」で、日本の役人と福祉は無能なので、「家族で支えあうべきだ」という陳腐な結論になるのだろう。
 実際には、すでに何度か参照した飯田泰之氏と雨宮処凛氏の共著「脱貧困の経済学」によると、生活保護受給者の8割近くが高齢・病気・ケガで働けない人たちで、自殺率は平均の2倍(ちくま文庫版、295ページ)。つまり客観的データとして、生活保護受給者は追い詰められた人たちなのに、「楽している」「不正受給ばかり」とイメージでバッシングされている。バッシングしている連中の方に、未来がない。

 そもそも一部の人間は、生活保護受給者に対して「社会復帰」「働くこと」を金科玉条のごとく絶対視しているが、マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」でも議論されていたように、社会で必要とされる、すなわち金を稼げる仕事というのは、その時々の社会で変わっていくもの。
 インターネット黎明期には、ネットで面白い文章を書いている人に編集者が原稿を依頼して、文筆業で食えるようになったという例もあるが、出版不況がどんどん深刻化する中で、そういう話は少なくなった。俺だって出版業界がバブルだったら、声がかかって楽に稼げたかもしれないな~。
 最近では「ITの進歩で雇用が奪われる!」といった話題が人気だが、機械が発展すればするほど仕事がなくなって生活が苦しくなるとすれば、かつて産業革命時代の機械打ちこわし運動みたいに、テクノロジーを放棄するしかない。しかしそれは、「人は働いて金を稼ぐべき」という考え方に縛られているからではないか。
 だから中には、「機械が人間の仕事にとって代わる分、ベーシック・インカムで最低限の暮らしを保証しよう」といった提案もなされている。これは楽観論のような気もするが、社会復帰しろしろマンも少しは柔軟に考えてみては?
 とりあえず、家族主義がただちに変えられないようなら、要はまず、「この私」の生活がなんとかなればいいので、もっと限定的な提案を考えてみる。たとえば、私には障碍者手帳3級が交付されていて、所得税と住民税がじゃっかん控除されているが、それくらいである。それ以外の福祉サービスはほとんど有料で、国民年金の保険料支払いも全く減免されていない。病気で働けないのに。
 病気で働けない人への福祉を、もっともっと充実させる。病人がいる家族への福祉を、もっともっと手厚くする。すぐにでもやれるようなことは、いくらでもある。

 書誌情報

筑摩書房 脱貧困の経済学 / 飯田 泰之 著, 雨宮 処凛 著