馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

弱者や被害者が悪魔になる醜さ、虚無。「機動戦士ガンダム 水星の魔女」14話、「彼女たちのネガイ」の感想。

 遅ればせながら見た。
 とにかく話が詰め込まれているため、一瞬のカットやセリフでも見逃さず、流れを理解しなければならない。

 

 1クールの終わりと同様、シャディクの陰謀と暗躍で、色んな人が巻き込まれて、大変な被害が出ている。それでネットでは、「シャディク株、大暴落(底値底値ぇ~)」なんてネタにされたり、あるいは、真面目にシャディクが嫌いになった視聴者も出始めた。
 確かに、ソフィやノレア(「フォルドの夜明け」メンバー)を手駒にシャディクのやったことは、まったく擁護できない。ただ、ソフィは、エアリアルとの対決に固執して、自ら寿命を縮めていった。ノレアはノレアで、「どうせ遅かれ早かれ死ぬ」という悲しい諦念を持つ。
 彼らは、非道な行為に対して、まったく葛藤していない。まともな倫理観を保っているのは、ニカ姉くらいか。

 シャディクも、グラスレー社のサリウス・ゼネリ代表に対し、「僕を拾ってくれた」と何度か言っているあたり、ニカ、ソフィ&レノア同様に、過酷な環境にいた孤児と思われる。
 その方が、シャディクが養父・サリウスすら知らない形で、フォルドの夜明けとつながっていることも説明が付く。

dic.pixiv.net

 レノアが「スペーシアンはみんな死ね」とスペーシアンの学園生徒に直球で向けたヘイトと、一線を超えた殺害には、大きな背景として、環境破壊の進む地球に放置された貧困層の存在、格差の問題がある。
 一方(「一方」が多い!)、プロスペラは、ついに真の目的を告白するが、それもまた、彼女が20年前に、愛する夫を殺された「被害者」になったことから始まっていた。

 シャディクの生い立ちや真の目的は、今のところ不明だけれど、プロスペラのような元は被害者、ソフィとレノアのような社会的弱者が悪魔化するという、非常にむなしみの深い話になっている。

 

 初代ガンダムでも、一応敵側で悪役はジオン軍なのだけれど、設定的には~。(ここらへんはオタクにとって基本知識なので、省略する。水星の若い視聴者や新規ファンは知らなそうだけど、興味を持ってから少しずつ知ればいいよ!)

 

 イギリスの映画監督ケン・ローチ氏は、イギリス(ひいては世界)の強欲資本主義と富裕層を批判する「左翼」なのだけれど、同時に「社会的弱者を、単にかわいそうな人としては描きません」と語っており、名作「麦の穂をゆらす風」は、まさにそんな内容になっている。(アイルランドを支配するイギリスの横暴を描きつつ、独立を目指すアイルランド人組織の内ゲバといった暗い要素たっぷりの作品。抵抗側を英雄にしない)

 日本だと、ガンダムみたいなアニメがやってるんだよな~。悲しいことに、弱者であることと、言ってることやってることが正しいかは別問題という…、ね。

 

 最近の漫画・アニメでは、ほかに「王様ランキング」が「被害者・即・正義」「弱者・即・正義」の不毛な連鎖を描いていた。「水星の魔女」の生々しさに比べると、教科書的でやや説教臭いかもしれないが、絵柄の暖かさもあって「それがいい」ともいえる。

 

 いや、ちょっと耐えられんくらい水星の魔女はグロテスクやろ。クオリティーが高いと思っても、呪術、チェンソーマン、推しの子を「面白いよ~」と(特に友達とか近しい人に)すすめづらいのと似てる。