馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

早生まれのシンボリクリスエス、遅生まれのナリタタイシン。~誕生日の1月から6月まで。

 1月21日…。シンボリクリスエスは、そんな早生まれだったのか。
 人間の世界で、早生まれ・遅生まれを意識することはほとんど無い。学校の「学年」制度では、4月生まれから3月生まれまで一クラスにまとめられるので、そこで意識するくらいか。

 それでもせいぜい小学校までかねぇ。それ以降は、本人の素質とか家庭環境とか、もろもろの差の方がずっと大きい。
 競走馬の場合でも、早生まれ・遅生まれに意味があるのは、3歳春のクラシック戦線くらいまで、と言われている。

 

 人間より遥かに寿命が短く、その分成長は速いのが馬だけに、数カ月の違いが仕上がりに与える影響は無視できないものの、そういうセオリーより、セオリーから外れたドラマ性を競馬ファンは好んできた。
 ナリタタイシンは、6月生まれ(ウマ娘メンバーだと、他にカワカミプリンセスしかいない)に小さな体という、クラシック期に相当なハンデとなる要素を、たぐいまれな瞬発力で埋め合わせて皐月賞を勝った。

 クリスエスは、本格化まで時間のかかるタイプだった。ダービーでは、タニノギムレットに届かず2着。秋になって天皇賞有馬記念を勝ったが、それでも最も完成されていたのは、翌年の4歳秋だったという。
 あの巨体にあの遅い完成は、大器晩成という言葉がピッタリあてはまる。

 

 だからあと1年…、いや、往年のメジロ牧場方式で、故障が無ければ6歳まで走ってよかったのにぃ~。
 ※エピファネイアなどを出したので、「種牡馬としても成功!」のイメージが強いけど、実のところエピファくんが出るまでは、ダート方面しか、これといった産駒がいなかった。
 そのためか、2012年発売の「G1グランプリ」というゲーム(内容を一言で言うと、ダビスタをちょっと簡単にした競馬シミュレーション)では、ボリクリの種牡馬ステータスは、なんと「芝× ダート◎」というものだった。

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余談だが

 国民皆教育、つまり自国の国民全員を教育するぞ、という学校制度が確立する(欧米と日本で19世紀くらいの時期)までは、「学年」「学級」というものがなかったらしい。
 詳しくは、柳治男「学級の歴史学」をどうぞ。