馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

劇場版「逆襲のシャア」と小説「ベルトーチカチルドレン」を比較した、個人的感想。

 「閃光のハサウェイ」のややこしいところ。
 ・原作は、ガンダムの生みの親・富野由悠季氏の同名小説。
 ・しかし、「閃ハサ」は、劇場版ではなく小説「逆襲のシャア ベルトーチカチルドレン」の続編。

 「ベルチカ」とは、劇場版「逆襲のシャア」の原案というか、初稿シナリオで、えらい人たちの意見とか諸事情あって、細かいが重要な点で設定が違う。
 ・で、ベルチカでハサウェイは、逆上してチェーンを殺していないし、そもそもベルチカはチェーン自体が存在しない。
 Zに出てきたキャラで、ベルチカ世界線だとアムロの子供を妊娠するベルトーチカが削除され、代わりに劇場版で登場したのがチェーンという感じ。
 ・劇場版「閃光のハサウェイ」では、視聴者の混乱を避けるためか、これがベルトーチカチルドレンの世界線か、劇場版逆シャア世界線なのか、どっちでも取れるような描写になっている。
 ・コミカライズ版閃光のハサウェイも、試し読みの範囲しか見てないけど、劇場版閃ハサと同じでぼかした描写。

inunohibi.hatenablog.com

劇場版「逆襲のシャア」と小説「ベルトーチカチルドレン」を比較した、個人的感想。

 大まかなストーリーは一緒なんだけど、完成度ではやっぱり「ベルチカ」の方が上なんだよね。(一部のファンからも、「ベルトーチカチルドレンを映画化してくれ~!」と熱くリクエストされている)

 

 逆シャアでは、シャアのことを「夢みたいな理想を語るインテリ」「お前ほど急いでもなければ、人類に絶望していない」といって対峙する、地に足付いた大人なアムロを見れるんだけど、その根本には「妻・ベルトーチカに新しい子供、守るべき家族ができたこと」がある。
 アムロ自身が語っているように、それが「シャアにはない僕の強み」なのだ。

 シャアはララァの死を引きずっているだけでなく、引きずる弱さを、ニュータイプ論や過激思想に託してごまかしていた。
 そもそもが、シャアがニュータイプ論に傾倒したきっかけは、当初「ザビ家への復讐」を考えて、ガルマを罠にはめて間接的に殺害したものの、それにむなしさを感じて目的を見失ってしまったことにある。

 

 シャアというキャラクターは、Zと逆シャアで言ってることが全く違っていて、一貫性のない分かりにくいキャラではあるが、ニュータイプ論が常に「むなしさ」や「恨み」の埋め合わせだったことはブレてない。