馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

追悼。タキオンの兄、「最弱世代」のダービー馬・アグネスフライトが、やり遂げたこと。

 

 アグネスタキオンは、強さと引き換えに、足の健康とか、色々なものが欠けていた馬だった。引退してからも、光の速さでいなくなってしまったなぁ。
 アグネスフライトは…、弟・タキオンができなかった、なんなら母のアグネスフローラもできなかった(無敗の5連勝で桜花賞を優勝したが、オークスではレース中に骨折して、2着。そのまま引退した。05年に蹄葉炎で病死)、「長く走って、長生きして、最期は老衰で亡くなる」ということを、やり遂げたんだよ。
 安らかにな…。

youtu.be

河内洋”という人

 河内洋元騎手(現在は調教師)について、少し解説するわ。

 最初、河内氏は武田作十郎厩舎に所属していたんだけど、武豊騎手の父・武邦彦氏もまた、武田作十郎厩舎に在籍していた時期があり、河内氏の兄弟子にあたる。
 武邦彦氏は、「名人」とか「(ターフの)魔術師」と言われた名騎手だったものの、豊氏が競馬学校在学中、すでに騎手を引退していた。


 そんな武豊氏が、武田作十郎厩舎に所属してプロデビューしたとき、現役の兄弟子としていたのが河内洋氏だった。

 もう河内氏は、豊氏デビュー前の85年に、武田厩舎を離れてフリーになっていたけれど、豊氏と非常に親しい関係だったようだ。武豊氏は、「一番影響を受けたのは兄弟子の河内さんです。特に馬を楽に走らせる乗り方というのを、一緒に調教に乗っていて学びました」とたたえている。
 が、河内氏は謙虚な人なので、「豊はオレみたいに下手じゃなかったから(…)アドバイスも何もした覚えはないね」と笑いながら答えている。(別冊宝島「日本競馬レジェンド100人」)


 これらの情報を頭に入れて、あの2000年のダービーを見ると、いや、知らなくても 三宅正治アナウンサー の実況だけで、名騎手の熱い勝負ということが分かる。

ja.wikipedia.org

過去記事

inunohibi.hatenablog.com

 「それでもアグネスフライトは、河内洋騎手(現在は調教師)をダービージョッキーにしたから、誰が何といおうが名馬なんだ。
 タキオンだけだったら、河内さんはダービージョッキーになれなかった。」