【アグネスフライト逝く】2000年の日本ダービーGⅠ優勝馬アグネスフライト26歳(父サンデーサイレンス)の訃報が入りました…合掌🙏
— パカパカ工房💉ワクチン4回接種済 (@pakapakakobo) 2023年1月11日
早逝した全弟アグネスタキオンほど繁殖に恵まれなかったのが惜しまれます。
晩年は社台ブルーグラスファームで静かに余生を送っていました。
※2021年撮影 pic.twitter.com/zv8f1V64dH
「20世紀最後のダービー馬」ですね。
— マチカネイワシミズ (@mckniwsmz) 2023年1月11日
「最大の悲願となっていたダービー初制覇を成し遂げた河内騎手。祖母のオークス、母の桜花賞と母仔三代にわたって手綱を取ってきたベテランの、ダービー制覇にかける執念が、馬にも乗り移ったのかもしれない」
優駿 TURF HERO 2000より pic.twitter.com/kv5gBjhWvL
アグネスタキオンは、強さと引き換えに、足の健康とか、色々なものが欠けていた馬だった。引退してからも、光の速さでいなくなってしまったなぁ。
アグネスフライトは…、弟・タキオンができなかった、なんなら母のアグネスフローラもできなかった(無敗の5連勝で桜花賞を優勝したが、オークスではレース中に骨折して、2着。そのまま引退した。05年に蹄葉炎で病死)、「長く走って、長生きして、最期は老衰で亡くなる」ということを、やり遂げたんだよ。
安らかにな…。
“河内洋”という人
河内洋元騎手(現在は調教師)について、少し解説するわ。
最初、河内氏は武田作十郎厩舎に所属していたんだけど、武豊騎手の父・武邦彦氏もまた、武田作十郎厩舎に在籍していた時期があり、河内氏の兄弟子にあたる。
武邦彦氏は、「名人」とか「(ターフの)魔術師」と言われた名騎手だったものの、豊氏が競馬学校在学中、すでに騎手を引退していた。
そんな武豊氏が、武田作十郎厩舎に所属してプロデビューしたとき、現役の兄弟子としていたのが河内洋氏だった。
もう河内氏は、豊氏デビュー前の85年に、武田厩舎を離れてフリーになっていたけれど、豊氏と非常に親しい関係だったようだ。武豊氏は、「一番影響を受けたのは兄弟子の河内さんです。特に馬を楽に走らせる乗り方というのを、一緒に調教に乗っていて学びました」とたたえている。
が、河内氏は謙虚な人なので、「豊はオレみたいに下手じゃなかったから(…)アドバイスも何もした覚えはないね」と笑いながら答えている。(別冊宝島「日本競馬レジェンド100人」)
これらの情報を頭に入れて、あの2000年のダービーを見ると、いや、知らなくても 三宅正治アナウンサー の実況だけで、名騎手の熱い勝負ということが分かる。
過去記事
「それでもアグネスフライトは、河内洋騎手(現在は調教師)をダービージョッキーにしたから、誰が何といおうが名馬なんだ。
タキオンだけだったら、河内さんはダービージョッキーになれなかった。」