馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

なぜナリタトップロードは、オペラオーを超える人気だったのか。競馬界の成熟期、2000~10年代を振り返る。

 最初はトプロのことを書こうと思ったんだけど、ついでに、やってなかった00~10年代振り返り。

 
 99年クラシック世代が現役のころ、テイエムオペラオーよりナリタトップロードの方が人気だったことは、不思議に見えるだろう。
 理由はいくつかある。まず、シンボリルドルフよりミスターシービーが愛されたように、競馬ファン判官びいき、手堅く勝つ馬より、勝ちきれない馬を応援する心理。

 そもそも「判官びいき」という慣用句が、庶民の間で鎌倉幕府初代将軍の源頼朝より義経が人気だったことに由来するので、日本の伝統文化かもしれない。

 

 00年代の競馬シーンと言えば、なんといっても名馬ディープインパクトと、ディープが巻き起こした競馬ブームということになる。
 だけども…、世間の熱狂と対照的に、古参・年長ファンの空気は冷え切っていた。ちょうどハルウララ・ブームとディープ・ブームの頃に書かれた「たいようのマキバオー」の、ぶつくさ文句を言ってるマキバオー世代みたいだった。

 実は私も好きじゃないんだよな…。なぜか。「たいようのマキバオー」で言われたように、切磋琢磨するライバルの不在があった。
 しかしもっと大きな…、90年代から続いていた現象、大牧場の一人勝ち、その大牧場が擁するサンデーサイレンスといった、人気種牡馬の寡占状態、一部のトップジョッキーに集中する騎乗依頼、それらをすべて揃えていたのがディープインパクトだった。

 関西テレビ馬場鉄志アナウンサーが、無敗三冠を達成した菊花賞シンボリルドルフ以来2頭目)で言った「これが日本近代競馬の結晶だ!」が、良くも悪くもはまっていた。

 
 一方、2年後にウオッカが、「牝馬がダービー制覇」という話題性で注目を浴び、「競馬はよく知らないけど見に来た」というにわかファン、特に若い女性を呼び込んでいた。が、こちらはディープに比べると、はるかにコアファンも暖かったと思う。

 ウオッカの生涯成績を振り返ってみた場合、歴代の名馬と比べると負けが多いのだが、成績表だけではわからないここぞというときの強さがある。
 牝馬でダービーに挑戦するし、G1を勝った名牝でありながら、切れ目なく出走させる冒険的なローテーションは、舌の肥えた競馬ファンも好感を抱いた(G1未勝利の牝馬だと、イクノディクタスがもっと過酷なローテしてる)。

 

 ウオッカの後から、リアルタイムで競馬を見ていた記憶が途切れる。このころは、私生活で病気が悪化して大変な状態だったので、「ゆっくり競馬を見てられない」と思ったことだけ記憶している。
 というわけで、完全に後追い知識なんだけど、ディープ&ウオッカブームの後で、競馬界は再び馬券売り上げが減少した。
 ただ、数値的な低迷とは裏腹に、日本競馬の成熟を感じさせる活躍馬が多数いた。ウオダス名牝対決からして、父がそれぞれタニノギムレットアグネスタキオンで、以降スペシャルウィークからブエナビスタステイゴールドからオルフェーヴルゴールドシップディープインパクトからジェンティルドンナブラックタイドからキタサンブラックキングカメハメハロードカナロア→アーモンドアイと、途切れることなく父内国産の名馬が出ている。

 90年代後半~00年代前半は、メジロライアンサッカーボーイトウカイテイオーサクラバクシンオーがG1ホースを出していたものの、最強レベルとは言えない。

 オペラオーを超えたトプロ人気も、ここから分かるだろう。あの頃の競馬ファンというのは、「親仔のドラマ」に飢えていたのだ。(そういえば、シービーも父内国産で、ルドルフは輸入種牡馬の仔だった)

 

 ただ、ほとんどがSSかキンカメの子&孫。競馬史で繰り返された「一つの血統が流行りすぎるとやがて廃れる」という法則通り、最近は種牡馬界で入れ替わりが起こっている。(ま、エピファネイアとモーリスも、先祖は同じなんですが)

参考文献

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