メジロアルダンにとって千載一遇のチャンスが、90年の天皇賞(秋)だった。
「生まれた時代が悪い」と言われがちな85年生まれ・88年クラシック世代でも、5歳(旧6歳)を迎えるころには脱落が目立っている。
スーパークリークは京都大賞典1着を最後に、脚の故障で引退。イナリワンも宝塚記念4着を最後に、故障で引退した。世代の強豪であったサッカーボーイ、サクラチヨノオーもすでにおらず、「平成3強」のうち残ったオグリキャップは、脚部不安が尾を引いていて、調整不足だった。
これまで苦杯をなめさせられてきたアルダンにとって、得意の左回りにライバルの不調、もはやここしかないという状況にあったのだけれど、まだ同期にヤエノムテキがいた。
当時、中山競馬場が改修工事で、東京になっていた皐月賞を快勝。「東京2000が得意」という点で、アルダン以上の馬だった。
結果はご存知の通り、ヤエノムテキ1着でアルダン2着。しかもムテキに乗っていたのは、かつてアルダンの主戦騎手だった岡部幸雄氏。
最後までアルダンは、運というか、色々恵まれず…。