テスコガビー、ハギノトップレディ、ラフオンテース、プリテイキャストらの時代。
テイエムオペラオーの調教師として、また、同馬に弟子の和田竜二騎手を乗せ続けたことで知られる岩元市三氏は、騎手時代にラフオンテースの主戦騎手であった。
2歳(当時は3歳表記)時は無敵の強さを誇ったラフオンテースが、3歳になってから勝てなくなったのは、きさらぎ賞で他馬に体をぶつけてしまい、馬群を怖がるようになったからとか、脚部不安によるとされている。
引退後の不可解な急逝もあり、「不幸な馬」というイメージがつきまとうラフオンテース。
また、岩本市三氏も、ダービー馬・バンブーアトラスが菊花賞前に(屈腱炎で)引退することになったり、「不運だった」というイメージが付きまとう。(いや、本当に勝手なイメージです)
ともあれ、ナンバープラス「名馬堂々」に収録された記事では、執筆者がそれを意識したのかしてないのか、「大レースをたくさん勝った上に、無事で競争生活を全うさせる」(68ページ)という岩元調教師と和田騎手の思いに力点が置かれていた。
オペラオーはもう亡くなってしまった(アドマイヤベガ、トプロも)。
あとは牧場でのんびりしている動画が産地直送パックで届けられるメイショウドトウに長生きしてもらいたいもんだ…。
バンブーアトラスについては、ここでも書いたよ
その他、参考文献
※この「競馬名馬読本」では、ラフオンテースの唐突な死亡事故について、「自殺」という見方を記している。同書を参考文献にしているウィキペディア「ラフオンテース」の項目にも、「自殺」の記述がある。