今日は、マイルチャンピオンシップ(G1)が行われる。来週はジャパンカップ(G1)だなぁ。レース単独での解説は、他にいっぱいあるので、俺っちはこの複数のレースを絡めた解説をしてみる。
1983年まで、日本競馬には「八大競争」と「重賞」という、大まかなカテゴリーしかなかった。マジかよ。
84年にグレード制が導入された時、G3とされた弥生賞(87年にG2に格上げ。現在は「弥生賞ディープインパクト記念」)と、G1になった安田記念、エリザベス女王杯が、それ以前は同じ「重賞」だった。
84年から、エリザベス女王杯がG1として桜花賞・オークスと同格になったわけで、それ以前は「牝馬三冠」という概念もなかったらしい。そんな昔の認識については、江面弘也「名馬を読む 1」の「メジロラモーヌ」に詳しい例証がある。(毎度、このシリーズにはお世話になってます)
安田記念も、八大競争ではない重賞だったから、実質的な格上げであり、マイル路線は一気に充実した。
一方で、「適正別のG1に向かい、実力馬が分散している」と年長ファンが嘆いた傾向も、ここから始まっている。私が知っている範囲でいうと、ニッポーテイオーがそういう馬になる。
1987年
その年は、五冠馬シンザン産駒の二冠馬ということで人気の高かったミホシンザンが、天皇賞・春を勝った後、引退していた。
秋になって、ニッポーテイオーが5馬身差で天皇賞・秋を勝って、G1を初勝利すると、主戦の郷原洋行騎手は「今のニッポーテイオーなら2400も問題ない。現役最強の一頭だし、ジャパンカップに行きたい」と調教師に直訴する。
しかし久保田調教師は、「テイオーはマイラーだ。予定通りマイルCSに向かう」と聞いてくれなかったという(江面弘也「名馬を読む 3」)。
「菊の季節に桜が満開」の名実況で知られるサクラスターオーも、JCを回避し(ギリギリの状態で菊花賞に出ていたので仕方ない)、極端な追い込み脚質で個性派として愛されたフレッシュボイス(主な勝ち鞍、安田記念)も、剥離骨折で休養に入った。
「日本総大将」が見当たらず、外国馬が上位人気を独占する中、唯一気を吐いたのが、ニッポーテイオーやメジロラモーヌと同じ86年世代のダイナアクトレスだった。
アクトレスは、3歳の時メジロラモーヌがいたというだけでなく、順調に走れず実績を残せなかった。ラモーヌが有馬記念9着を最後に、3歳いっぱい走って現役を終えると、「寿退社とはノンキなもんだな」と思ったかどうか、現役を続行してマイル路線に活路を見出す。
しかし、そこで壁として立ちふさがったのが、ニッポーテイオーってわけよ。
それまでの成績を見ると、JCは距離が長いんじゃないかと思うけど、名手・岡部幸雄氏が後方でじっくり脚をためて、切れ味勝負で3着(日本馬最先着)に入る。フランス馬ルグロリューのレコードタイムから、0秒2の差だった。
前年のミホシンザン3着に続き、日本勢が一定のメンツを保った。
結局ダイナアクトレスは、G1勝利こそ叶わずに引退したが、ヒシアマゾン、エアグルーヴらJCを好走した強い牝馬の先駆け、と言われている(別冊宝島「競馬スーパースター 最高に熱かった名馬たち」)。
繁殖馬として
メジロラモーヌやニッポーテイオーやフレッシュボイスの産駒はパッとしなかったが、ここでもダイナアクトレスは気を吐いていた。
直仔にG1馬は出なかったが、孫世代からジャパンカップを勝ったスクリーンヒーローが現れ、現在、モーリス、ピクシーナイトまでG1馬が続いている。
一方で、ニッポーテイオーは、「ハルウララの父」という意外な形で名が残る。現役時代は面白みのない勝ち方で、シンボリルドルフに輪をかけて不人気だったような馬は、「負け続けて人気」のハルウララが「主な産駒」になっていた。