”1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000メートルに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には3歳馬が出走できるように条件が変更された。”
「コースの特徴」
”1コーナー奥にあるスタート地点から2コーナーに向かっていくレイアウト。2コーナーまでの距離が短いため、外めを通らされると距離のロスが大きい。
(…)レース前半を器用に立ち回ることができて、直線でより速い末脚を発揮する能力 、タフなコースを押し切れるだけの体力を持つ馬が好走しやすい。”
というわけで、東京競馬場の芝2000メートルは、外枠が不利。
外枠の馬(の騎手)が慌てて内側へ入ろうとすると、内枠からスタートした馬があおりを受けやすい。91年のメジロマックイーン(7枠13番)が、1位入線で膠着になった惨事は、極端だけれどコースの悪さが出た例。
2002~03年の改修工事で、多少改善された。けれど、依然として外枠不利という指摘が。
ウィキペディアの記述
”内枠の馬に対して危険・外枠の馬の不利が指摘されていた芝 2,000 mコースのスタート直後のカーブが緩やかになった。ただし依然として、第104回天皇賞(1991年)においてメジロマックイーンが降着となったような事例に対する影響については様々な意見がある(第104回天皇賞を参照)。”
”東京競馬場は2002年から全面改修が行われ、2000mコースにはスタート地点から最初のコーナーまでに新たに約100mの直線が設定されたが、外枠不利の問題は依然として解消されていない[29][30]。”
感想
競馬 秋の天皇賞 エフフォーリアが優勝 コントレイルは2着 | 競馬 | NHKニュース
ここはビシっとコントレイルが勝って、「あ~、やっぱ三冠馬って強いんだな~」と思わせてほしい、とひそかに期待していた。
東京では雨が降ったりやんだり…、「怪しい雲行き」の中でコントレイルは2着だった。とはいえ、重馬場に苦しんだらしい大阪杯の時と比べると、だいぶ持ち直している。あのときは「阪神の重馬場は鬼門」というセオリーを差し引いても、冴えていなかった(印象論)。
レース前から陣営は、「天皇賞・秋とJCを走ったら引退」と宣言しており、いやつまりこれは、ジャパンカップを勝って「最弱の三冠馬なんつってごめんね、コントレイル」とファンが手の平ドリルするのが待ってるんだよ!