”1984年のグレード制導入に伴いGⅢに格付けされ、距離も芝2200メートル(外回り)に延長された。
さらに、1986年から1994年まで負担重量を馬齢に変更のうえ、地方競馬招待競走として行われた。
ジャパンカップ出走を目指す地方馬同士の争いが注目を集め、1986年にジュサブロー(愛知競馬)、1991年にジョージモナーク(大井競馬)が勝利を収めている。
その後、1995年にGⅡに格上げされ、負担重量も再び別定に戻された。
2014年から本競走の優勝馬に天皇賞(秋)の優先出走権が与えられることとなった。”
…と、ここに書いてあるように、ツインターボが勝った時(93年)のオールカマーは、G3でした。
昔はジャパンカップと並んで、地方馬も出れる数少ないレースだった。
95年から、地方所属馬が中央(JRA)の重賞にも出れるようになり、また逆に、中央馬が地方のレースにも出られるようになった。この95年は、「交流元年」と呼ばれている。
同じ日本だというのに、出られるレースが別世界のように限られていたのは、「縦割り行政」の弊害ですかねぇ。
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