依然として、エイシンフラッシュと同期だったり、同じレースを走った馬がほぼウマ娘に出てない。
そこで「ウマ娘でキャラ化された馬以外知らない…」という人向けに解説してみよう。
強豪たち
フラッシュと共に2010年クラシックを走った馬で、筆頭といえばヴィクトワールピサになる。デビュー戦は2着だったものの、そのあと皐月賞優勝まで5連勝。
ダービーで1番人気に推されたが、エイシンフラッシュの上がり32秒台の鬼脚に屈し、3着。ピサを管理する角居勝彦調教師は、瞬発力勝負になると脆かった、と分析している。
ところが、有馬記念でミルコ・デムーロ騎手が、テン乗り(初騎乗)にもかかわらずピサの長所と短所を見事につかんで、ブエナビスタ(G1計6勝の名牝)を封じてG12勝目をあげた。(エイシンフラッシュは7着)
上がり調子で翌年3月、ドバイ(アラブ首長国連邦を構成する国の一つ)へデムーロ騎手と共に遠征したが、同11日、東日本大震災が起こった。同26日、ドバイワールドカップ(国際G1)で日本馬として初優勝し、「日本に勇気を与えた」と報じられる。
一方、エイシンフラッシュはどうしていたかというと…、勝ち星から遠ざかっていた。
2010年ダービーでは9位だったヒルノダムールが、2011年の天皇賞・春を勝利。父マンハッタンカフェとの親仔制覇を達成。2着がエイシンフラッシュだった。
他にも父キングカメハメハ、母エアグルーヴという良血で、ダービー5着のルーラーシップが、2012年4月に香港のクイーンエリザベス2世C(国際G1)を勝ち、念願のG1初勝利。
ルーラーシップ | 競走馬データ - netkeiba.com
ダービーで2着、その後神戸新聞杯でエイシンフラッシュを破り、1位入線したブエナビスタが降着で、繰り上がりだったけれど2010年ジャパンカップを勝ったローズキングダムもいる。(そのジャパンカップで、エイシンフラッシュは8着だった)
ローズキングダム | 競走馬データ - netkeiba.com
閃光、再び
かつて負かしたはずの同期に勝ちあぐね、サクラチヨノオーやウイニングチケットみたいな「ダービーで燃え尽きたダービー馬」になるかと思われたエイシンフラッシュが…、2012年10月28日の天皇賞・秋で、ダービー以来、2年5か月ぶりの優勝を果たす。
このとき下馬して「天皇皇后両陛下への最敬礼」を示したのも、ヴィクトワールピサに乗っていたデムーロ騎手だった。
単にデムーロ騎手がうまい、または強い馬に乗りまくっているだけなのだが、ささやかな因縁を感じずにいられない2007年生まれ・2010年クラシック世代だろう。
補足
ヴィクトワールピサの父・ネオユニヴァースは、ミルコ・デムーロ騎手が日本で初めてG1を勝ったときの馬で、「乗ってきた中で一番強い馬はドゥラメンテ。一番好きな馬はネオユニヴァース」と語っているらしい。
さらに補足
ヴィクトワールピサがドバイワールドカップを優勝したことは、週刊Gallop(ギャロップ)臨時増刊「平成競馬全史」の「ファンが選んだ名シーン」18位に選ばれている。
参考記事と文献
”「ダービーで燃え尽きたダービー馬」の典型となってしまった。”
追加
エイシンフラッシュのダービー、"史上最高級のダービー"と戦前盛り上がった割には、超スローの上がり勝負で人気薄が勝つ…という結果で正直どっちらけの空気に。
— おうまP (@o_m_a_e_p) 2021年8月20日
でもフラッシュがこの世代で一番息の長い活躍をし、世代賞金王にも輝いたので、"一番強い馬がダービーを勝った"だけなんですよね。