馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

日本政治の「強いものをより強くする」システムについて。

www3.nhk.or.jp

 国民投票法改正案が可決された。最後まで焦点となったのは、広告規制の在り方だった。憲法改正国民投票に対して、広告費に上限を設けなければ資金力のある大政党が有利になって民主主義がゆがめられると懸念された。
 情報強者気取りほど、「そんな広告宣伝に踊らされませんよーだー」と思っているだろうが、たとえばアンケート調査を見れば、選択的夫婦別姓は賛成の方が多いのに、実現すると表明しているリベラル系野党が全然有権者に浸透してないので、そこにはやはり情報格差があるかもしれない。

 
 問題は国民投票にとどまらない。そもそも日本の政党助成金制度が、与党と野党、大政党と中小政党の格差を固定する仕組みになっている。
 日本はイギリスを「議会制民主主義の本家大元」として理想化し、それを参考にして小選挙区制にしたくらいなのに、助成金制度は日英で全く異なる。
 日本では、党の獲得議席や得票数と連動して交付金が配分されるが、イギリスでは、「政権与党は様々な形で優遇されている」という前提から、野党の方に厚く資金援助されている。(高安健将「議院内閣制」、258~259ページ)

 
 もちろんイギリスは、EU離脱をめぐる混乱以降誰の目にも明らかになったが、ユートピアではない。保守党のキャメロン首相が、タックスヘイブンに資産を隠して税金逃れしていたというニュースは日本でも大きく伝えられたが、他にも腐敗や不正の例は尽きないらしい。
 しかし、イギリスのジャーナリストが東日本大震災後の日本を論じていったように、「無能な指導者なら欧米にも山ほどいる」ものの、日本では、政治家・政党間の競争がうんざりするほど働かない。「AがダメならBだ」という他の先進国ならごく普通に存在する政権交代の可能性が、非常に細くもろい。
 そこには、すでに述べた日本型の政党助成金システムがある。

 また、こういった構造的課題が見過ごされ、「枝野はダメだ、辻元、蓮舫はダメだ」といった、属人的でフワッとした意見の方が、SNSではバズりやすいかもしれない。

 

 「枝野がダメだから、立憲は野党のまま」といえば、かつてマッカーサーが「日本人は勝者に媚びへつらって、敗者をさげすむ習慣があるようだ」といったメンタルにハマるのかもしれない。

 もちろん、マッカーサー一人の言うことが全てではない。しかし、ただでさえカネのない野党について、「野党(敗者)が野党(敗者)のままであることには理由がある」といわれれば、もうわざわざ野党のことをよく調べて吟味する人は少ないだろう。
 心理学的なフェイクニュースの研究でも、要するに「今の状態から何もしなくていい」というのが受けやすいらしい。「ワクチンは打たなくていい」とか。

 
 オリンピックも、政府とIOCが必死にやっているのは、とにかく「開催に向けて最大限努力する」ことで既成事実を着々と作り、「わざわざ反対しなくてもいい」というムードを醸成することだろう。
 一方で、そういう行政の非行動、無計画、怠慢の表れとして、ワクチン接種の遅れがある。日ごろの「わざわざやらなくていい」という政治的習慣が、今ツケとなって出たのだ。

 

 参考文献

 

 

mainichi.jp

 "著者は「殺し合いも略奪もない、被災者たちの礼儀正しさ、広大無辺な慈悲の心」を絶賛する一方、「政治の不毛も自然災害のようなもので、我慢するしかない」と考えがちな日本人の履き違えを問う。"