馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

クソ校則から見えてくる、「髪の黒い日本人が普通」というクソ学校の耐え難い差別意識。

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 リベラル派メディアにおいて、今回の裁判は、「ブラック校則」の問題として報じられ、「生徒の自発性を尊重して」「生徒との対話を」と結論付けられている。
 もちろんそれは大事だが、「自主性・自発性」の掛け声だけなら、すでに教育現場に広まっている気がする。

 電通社員の過労自殺事件を受けて、ようやく見直された労働法の「サブロク協定」は、「労使の合意で残業時間を決められる」としており、それまで事実上の規制なしだった。「使用者(経営者)側、労働者側双方の合意」という建前で、ブラック労働が横行していたのが日本の企業文化。

 成人した労働者でさえそうなのだから、未成年が通う学校では、なおさら形だけの対話で、ブラック校則が変わらないままかもしれない。
 (一部では「ブラック企業」といった呼称が、「アフリカ系(黒人)に対する差別的表現」という意見も出されている。不快に思う人がいるなら気を付けるべきだろうが、「髪の染色・脱色を禁止する」などというクソ校則は、日本が言葉の問題以前であることを浮き彫りにする。)

 
 根源的には、「髪は黒」という差別の問題である。髪の毛が黒ならば問題なく、髪が茶色かったり赤みがかったり黒以外の場合のみ、「地毛の証明書」等が必要になる。 「黒髪の証明書」というものは必要ない。「髪が黒い日本人」が「普通の日本人」で、それ以外は「証明」が必要になるという差別だ。
 今時は、日焼けサロンで肌をこんがり焼くこともできる。それで「ガン黒ギャル」とかいるのだが、「肌がもともと黒いことの証明書」が必要になるのか? 肌の色を問題にすると人種差別っぽいが、「髪くらいなら取り締まってもいい」と思ってないか?

 
 明らかに多様性とか外国人受け入れといわれている今の時代に反しているし、さらに言えば、フランツ・ファノンが生きた時代と同様の差別かもしれない。

 ちょうど今月、「100分DE名著」でフランツ・ファノン「黒い皮膚・白い仮面」をやっているのだが、カリブ海マルティニーク島出身のファノンは、植民地の黒人が宗主国フランスの文化を通じて、「白人が文明的で、黒人は野蛮人」というステレオタイプを刷り込まれる社会構造を告発した。
 ファノンはフランスの大学に留学し、医師免許を取得するが、そこで「フランス人(白人)」から自分に対する「開けた(文明的な)黒人」というまなざしを意識する。
 白人はわざわざ「文明人ですよ」という証明は必要ないだろうが、黒人はファノンのように、スーツを着て大学に通うことで、ようやく「黒人だけど文明的ですね」という形で認められる。
 黒髪こそが「不良ではない証」で、地毛の証明書を見てようやく「髪が茶色だけど、生まれつきだから不良ではないんだね」という教師が、差別をしていないというのか。

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 余談。

 (欧米の植民地というと、大航海時代に原住民に対する虐殺や略奪がやられまくったようなイメージのままでとらえている人が結構いる。ヨーロッパでも国民主権や民主主義のなかった時代と、20世紀以降の人種差別は、地続きの部分もあるし、違う部分もある。

 また、どうやら人間は相手に対して「野蛮人」と見下すほど残酷になれるようで、ヨーロッパ人も当初、アメリカ先住民に対する扱いと、中国や日本のような「文明レベルの高い国」とで、明らかに態度は違った。

 忘れがちであるが、19世紀まで日本は、オランダと対等な付き合いをしていたのである。)