終わった。
真面目に感動してた人にはわりぃけど、かつてなくBL色の強い信長と光秀だったな…。
主人公が光秀だけに、当然の流れとして光秀と信長の関係が濃く描かれる。光秀の謀反には、数えきれないほどの諸説あるんだけど、従来有力だった怨恨説(最近では疑問視されている)にせよ、別に黒幕がいた説にせよ、光秀個人の感情を掘り下げたものは少ない(そもそも史料が少ないから仕方なくも…)。
これまで光秀という存在は、「信長をどう描くか」の鏡に過ぎなかった、といえる。「穏健な常識人」という通俗的な光秀像も、信長という「稀代の革命児」から、鏡として生まれた。
「麒麟」では、謀反の原因については総花的に盛り込みつつ(理由が多すぎるッピ!)、小細工なしで光秀と信長の愛憎を強調したのはいいと思った。
秀吉に時間を取らず、かつて光秀が仕えた義昭で締めるのも悪くない。(昔は気にされていなかったが、一応足利義昭は天寿を全うして、家も残った。)
歴史解説。
「麒麟」で光秀は、「殿は変わってしまった」という。
多くの歴史もので、一貫して怖い性格だったりする信長だが、重要史料として知られるルイス・フロイス「日本史」では、信長に対する記述が、初期と後期でずいぶん違っている(村井章介「分裂から天下統一へ」、105ページ)。
実際、若いころは(弟の)信勝側についた柴田勝家を許した寛容さがあったのに、晩年は家臣を次々粛清(左遷やリストラ)するようになった。
織田家臣団の中で、秀吉と光秀はツートップの存在だったが、晩年の信長は光秀を軽んじ、秀吉へと傾斜していった。その極地が、秀吉の進言に従って長宗我部攻めに方針転換し、長宗我部氏とのパイプ役だった光秀を秀吉への援軍として送り、中国地方に転封したことである(これらを最も重視するのは、四国説と呼ばれる)。
光秀視点の「麒麟がくる」では、秀吉が腹黒になっていたわけが、そもそもなぜ信長にとって、光秀より秀吉だったのか?
藤田達生「織田信長」は、子供のいない秀吉が、信長にとって好都合だったとしている(85ページ)。(信長は評価いまいちの嫡男に家督を譲ったり、晩年は親族優先になっていた。秀吉の方もまた、親族を優先したが、死後に残された一族は幼い秀頼だけで、短期政権に終わった。信長同様に…。)
信長は、やがて天皇をも超える権力を狙っていたのか? 本能寺の変直前、これまで天皇が行ってきた暦の改定に手を付けようとしていたり、そのような推測は成り立つ(村井章介「分裂から天下統一へ」、112ページ)。
が、懐疑的な歴史家もいる。
すまん、忘れていたこと追記。
他に信長本では、神田千里「織田信長」が面白かった。「麒麟がくる」での、比叡山焼き討ちの描き方…、「比叡山の僧侶たちが腐敗、堕落してたから滅ぼしたよー」というのは、ここに詳しく書いてあった。
要するに、太田牛一「信長公記」がそう記しているんだが、太田は信長の家臣だったわけだから、少なくとも宣教師ルイス・フロイスよりは織田家の公式見解だろう。
神田氏は、ルイス・フロイスの伝える信長像との違いを念入りに検証しているが、それは私の手に余るテーマ。
一般論でいえば、史料の記述が少しずつ違うことも、歴史の面白さ。絶対に正確な単一の史料、は存在しない。