史実との違い。実際のところ、モデルとなった作曲家・古関裕而が慰問に行ったのは、中国戦線だったという。
なぜ、ビルマに変更されたのだろうか。へたに中国戦線を描いて、中国を刺激したくなかったとか?(最近中国から敏感すぎるクレームが多い。)
昨日、最後に「終戦」の日を迎えたので、今日はようやく明るい雰囲気になるのかな、と思ったら変わらず重たかった。
古山裕一(主人公)は、「歌が憎い」というまでに闇落ち。
昨日の回では、「いざ来いニミッツ、マッカーサー」に歌詞が改変されたという、古関裕而を取り上げた歴史番組でも出てきたエピソードをやってた。
しかし、このとき裕一はもう、心の死んだ虚脱状態。藤堂先生が死んだとき、めちゃくちゃ泣き叫んでいた姿とのギャップで痛々しい。
余談だが、「ニミッツ、マッカーサー」のケッサクぶりは、この後無条件降伏し、敵愾心をあおっていたはずのマッカーサーに、平伏せざるをえなかったことだろう。
例えば当時、ラフでリラックスしたポーズのマッカーサーの横で、新皇帝を迎えるかのように直立不動した昭和天皇とのツーショットは、国民に衝撃を与えたらしい。
今朝の話では、NHK職員の、「この先どうなるか誰にもわからん」というニヒルなつぶやきが。この手の平かえしっぷり。
かつて、戦意高揚、あれだけ戦争をあおっておいて、「NHKだから嘘をつかない」というセリフは、高度な自虐ネタだね…。ただ、「先が分らない」というのはリアルな感覚だったろうなぁ。