馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

右派ポピュリズムの限界と、商業化したオリンピックの終わり。

 感染爆発している新型コロナウイルス。欧米の惨状を見て、のんきなネット右翼は、「日本のやり方が正しかった!」などといっている。

 政府が集めた専門家たちは、そんなにのんきではない。 要するに、「なんとか拡大を防いでいるけど、イタリアのようになる可能性がある」と、引き続き警戒を呼び掛けている。

 防げている理由として、「市民のモラル、努力」があげられていた。確かに日本人は、先進国の中でも特に慎重で、神経質なくらいの国民だろう。もっとも、専門家会議では大っぴらに言えないんだろうが、政府はほとんど役にたっていない。運が良かっただけという気もする。
 また、主に保守派からは、「中国人を入国禁止にすべきだ」と水際対策の強化を求める声が強かった。しかし、水際対策は、「流行を2~3週間遅らせる程度の効果」という専門家もいた。
 現に、イタリアに広がった感染ルートについては、(中国から直接ではなく)ドイツやイギリスを経由していた可能性が指摘されている。「中国からの渡航者」あるいは「中国人」の入国を禁止しても、これでは防ぐことができなかった。

 
 ここにきて右派ポピュリズム的な、自国中心主義が完全に限界をさらしたといえる。WHOを中国とかアメリカとか、特定の国が影響力を行使する組織ではなく、世界各国が協調する国際防疫機関にしなければ、新型コロナのような感染症に対処できない事が分かった。
 ヒト、モノ、カネがグローバル化した時代、といわれて久しい。日本一国が防疫と治療体制を頑張っても、経済が繁栄し続けることはない。

 

 東京五輪の延期、または中止が現実味を帯びる中で、それによる経済的損失も試算されている。数年がかりで準備する大規模イベントに依存すると、経済は脆いということをさらした。

 予算をかけすぎない「コンパクト五輪」というのが近年の流行りだったが、これからその流れはますます進む。
 ロサンゼルス五輪以降、商業化したとされる五輪も、原点に還るしかない。


 麻生太郎財務大臣は、「マスコミが好きそうな言葉」という得意の嘲笑的な修飾を添えて、「呪われた五輪」と形容した。他人ごとのようなキャッチフレーズだ。
 1940年の東京五輪が中止になったのは、直接的には日中戦争の泥沼化で、自業自得でしかない。1980年のモスクワ五輪は、まずソ連アフガニスタン侵攻が悪かったわけだが、選手はキャリアを棒に振った。
 それではさすがに選手が可哀想ということで、チベット騒乱と弾圧の翌年に行われた2008年北京五輪は、政府関係者の開会式ボイコットに限られた。(ただし、民間人が聖火リレーを妨害する事件が頻繁に起きた。)
 しかしそれとは別に、東日本大震災のような大規模災害が起きれば、延期や中止せざるを得なかっただろう。大震災が起きれば延期するし、海外で感染症が大流行すれば延期になる。これに経済効果を期待するというのは、ギャンブル要素を免れない。

 

 (それにしても、ユリアさんのリプで思い出したが、モスクワ五輪の次の1984年ロサンゼルス大会では、ソ連をはじめとした社会主義国が意趣返しでボイコットした。麻生大臣のような保守派にとっては、西側諸国がボイコットしていなければノーカンなのだろう。今回の新型コロナウイルスも、アフリカのバッタ大量発生みたいに一部地域だったら、「無事成功」になっていた。)

 

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