馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

(※先の展開ネタバレもあり)吾峠呼世晴「鬼滅の刃」18巻の感想。

 レンタルで読んだよ。アカザの悲しい過去が明かされる。
 下弦の伍の累、カイ岳とともに、「鬼になると人間の頃の価値観が歪んで現れる」というのが示されたわけだが、一方で半天狗や童磨など、「鬼になる前と性格が変わってない」パターンもあり、どっちが正しいのかよく分からん。
 ただ、半天狗や童磨はもともと人間性が腐っているか壊れていて、鬼になるとクズはクズのままでも、まだ人間的だった部分は頽落する(闇堕ち)。
 ネットでもうすでにバレを読んでいるから知っているけど、弟への嫉妬に狂った黒死牟はどっちなんでしょう?
 「縁壱の回想と違う」といわれている。普通に考えれば、ネットで言われている通り、鬼になったことで黒死牟の記憶が歪んでいるのだろうが、作中ではっきりとそう断言されているわけでもない。もしかしたら、素で相互の記憶とイメージが違っているんではないか。
 この決定不可能性みたいな揺らぎやもどかしさを、作者が意図してやっているとしたら凄い。
 そして、隣の道場の跡取り息子、クズすぎる・・・。(単行本の「設定こぼれ話」「長くて本編に入れなかったエピソード」によると、こいつが井戸に毒を入れた主犯。先代は嫌がらせしていたが、試合で技を見たら認めてくれた。)
 それにしても、素手の格闘家にかなわない剣士って、弱すぎない? 「剣道三倍段」はどうなった(素手で竹刀や木刀と戦うには、相手の三倍の段位が必要という有名なことわざ)。まぁ漫画的には、狛治が強すぎるってことなんだろうけど。
 「好きだった女性が、他の男(しかもかつて自分が負けた相手)と結婚すると知り、嫉妬、または憎悪した」ということで、黒死牟といい、サムライはなぜすぐ嫉妬に狂うのか。(偏見)

 

鬼滅の刃 18 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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