馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

「当時の価値観」というマジック・ワード。「慰安婦」問題考。追記あり。

hokke-ookami.hatenablog.com

 一般論として言えば、違法だからといって必ず問題になるわけではないし、逆に、合法だからといってすべてが許されることもない。今を生きている我々こそ、「あいつのやることは法に触れてないかもしれないが、絶対に許さない」といった感情を抱くではないか。
 たとえば「ダーティーハリー」や「ワイルド7」は、法でさばけぬ悪党を、主人公がリンチで始末する。これらの作品がなぜ痛快なのかといえば、「法治国家の手続き的正義と、道徳的正義がいつも一致するわけではない」という社会の現実を知っているからだ。(本当にまねをしてはイカンから、あくまで娯楽として楽しむ範囲になるが。)
 歴史問題の場合、法のあるなしに加えて、「当時の価値観」といったイメージが、さらに話をややこしくしていると思う。どうも日本人は、素朴な歴史主義というか、「当時の価値観では普通でした」といわれると、弁慶の泣き所のように弱い。

 サムライの切り捨て御免、女児婚、アステカの生きた人間の内臓をささげる儀式、これらはすべて「当時の価値観です」といわれりゃ、「ハハー」って頭を下げるのだ。
 しかし、慰安婦問題のような近い時代の場合、それを全く問題にしないような「当時の価値観」が本当にあったのかどうか、もっと慎重に立ち止まって考えるべきだな。
 そもそも、当時「慰安婦」にされた女性が感じたつらさや苦しさは、「誰」のことか分からない「当時の価値観」という尺度では測れない。アメリカに原爆を落とされたとき、被爆者が感じた皮膚のただれやのどの渇き、さらには放射能による後遺症は、「当時の価値観」などというあいまいな概念を超えた「痛み」だったのではないか。
 一方、当時の「アメリカ人の価値観」からすれば、原爆投下の意味は決まっている、「戦争終結を早めるために正しかった」それしかない。被爆者が後からどれだけ悲惨で恐ろしい体験を話そうが、関係なくなってしまう。
 (ちなみに、「日本の軍部」を基準にして当時の価値観を見た場合、青年将校は気に入らねぇ大臣や上官を、5・15事件や2・26事件で暗殺した。我々のご先祖様の価値観は、テロリスト、人殺しでしかないことになる。)

 追記。

 ちょっと修正。「北斗の拳」は、法も警察も機能しなくなったという世界観なので、違うかな。「ワイルド7」にした。

 「ダーティーハリー」のことを、「法と正義が一致しないのはおかしい」と批判する人はいないのに、歴史問題のことは「法と正義が常に一致している」というナイーヴな世界観に陥るのはなぜ。いや、不思議はないがね。

 類似の主張に「韓国併合は合法」というのがあるけど、これまた、何も言ってないのと同じ。