(全体のまとまりがなかったため、いろいろ削ってブログに記す。)
そもそも、最近の新書は、(前にも言ったけど)テーマが被りすぎなんでは? 中公新書には、すでに「アドルフ・ヒトラー」「ナチズム」(初期のラインナップなので、今となっては研究が古いだろうけど)や、「ナチスの戦争」「ヒトラー演説」があり、池内紀氏が「闘う文豪とナチス・ドイツ」を出しているのに、この上さらに「ヒトラーの時代」とは。「ナチスものは売れる!」という編集部の発想が透けて見える。
あと、「『ヒトラーの時代』は、『日本国紀』並のトンデモ」というのは、さすがに池内紀氏がかわいそうだと思う。「略称をナチスと決定し」って、そりゃおかしいんだけど、歴史マニアや歴史家目線のおかしさで、百田氏は真っ向から常識レベルを否定してるよね。(たとえば、「南京大虐殺はなかった」とか、教科書レベルの内容を否定。)
ネットの普及で、「ナチスは敵対勢力の蔑称で、自称じゃない」といった豆知識は、それなりに普及している。(恥ずかしながら、私もそれを最初に知ったのはネットだった。)けれども逆に、ウィキペディアとかネットからのパクリで「日本国紀」を書いた百田尚樹氏の方が、根本的なレベルで悪質だと思うんだけど。作家として大事なものを失っている。
ちなみに、自慢になるが、おすすめされている石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」は、この記事で参照したこともある。
スキャンダルを使った反対者つぶし。安倍政権と「ナチスの手口」。 - 犬沼トラノオ日記
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追記。
恥ずかしいことに、文意を全く勘違いしていた記述があった。削除してお詫びする。
ご質問の意味がよくわからないのですが、山口定先生の『ナチ・エリート』(調べ直したら、ナカグロ入っていました)も、芝健介先生の『ホロコースト』も、名著といってよい新書だと思います。 https://t.co/OgB6MCqXpQ
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) July 28, 2019