馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

植松聖と戸塚宏

 

 このvivという人物、「感想述べただけやから反論リプ送られても困るで」というのは、卑怯な言い分ですね。本当に反論されたくないなら、こっそり日記帳に書いて棚にしまっておくべきです。少なくとも、鍵アカウントにすればいいのでは。
 植松聖被告は「綺麗ごとだけではない現実」といってますが、本当にきれいごとをかなぐり捨てた結果、植松は障碍者を数十人殺害したわけです。植松の言うことに共感しながら、「殺すのはいかんけれど・・・」というのこそ、自己保身の「きれいごと」ではないですか。

 この前abemaテレビに出てた戸塚宏(呼ぶなよ・・・)も、「体罰に効果はない」というデータとか、発達障害の教育にかかわった経験なんかを突き付けられて、反論に窮したようで、「綺麗ごとを言っている」などとほざいていた。「綺麗ごとだ!」といえば、とりあえず「ドヤァ・・・」ってなれるんだろうね。
 ある意味では、植松聖も戸塚宏も、「障碍者にかかる費用を、健常者の福祉に回す」とか、「虐待で死なすことと、体罰は区別できる」とか、歪んだきれいごとを言っているわけだ。

 そもそも「他人に向かって主張する意見」がきれいごとではないときなど、あるのだろうか…。