馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

体罰の全面的禁止は、大きな時代の流れ。~気になる青少年のデータ。

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 法律による体罰の禁止は、一歩前進でも、まだ十分ではないだろう。ほかでも指摘している人がいるが、虐待としては言葉の暴力などもある。これら精神的暴力もまた、子供の暴力的傾向、抑うつ傾向、自尊心の低下をもたらすといったデータがある。
 日本の場合、他の先進国と比べて、若者の自尊心が低い、自殺率が高いといった気になるデータがある。過去5年間の自殺の動機として、「家族からの叱責・しつけ」が1位であったという。

日本の子どもの自殺率が2010年以降、急上昇している | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 体罰や精神的虐待の対策が取られて、これらの問題が直ちに改善するわけではないだろうが、日本では関心が薄すぎたように思う。

 体罰が全面的に禁止されることについて、「行き過ぎた体罰は悪いが・・・」と“しつけ”で「ちょっとたたいたりする程度なら、許される」と考えている人が多い。そういう人には、たとえば想像してみてほしい。刑務所で刑務官が「態度が悪い」などといって囚人を殴ったら、人権侵害ですよね?
 前近代的な社会では、囚人を鞭打つといった拷問刑があったのだけれど、「野蛮だ」「非人道的」ということで、死刑以外廃止になった。死刑自体先進国でどんどん廃止されているわけだが、残っている国でも、囚人が苦しまないように素早く死ねる工夫などをしている。
 なんでこの近代社会で、「暴力で苦痛を与えることは、教育効果がある」と信じられているのだろうか。何度も繰り返したように、「体罰に効果はない」というデータがもっと知られるべきだが、そもそも体罰ができるのは、親の方に権力があって、かつ体力的にも上回るという限定された時期に過ぎない。
そんな「力」に任せたしつけが、なんで子供が大人になっても未来永劫効果があると思っているのか? 「言っても聞かない子供は殴る」としたら、「言っても聞かない大人」はどうする?

 大人が大人を殴ったら、警察に通報される。昔は日本の警察も、夫の妻に対する家庭内暴力などを、「民事不介入」などといってかかわらないようにしていたが、時代は変わった。DVは犯罪です。大人の犯罪者は警察に任せる。それ以外でも、暴力的な大人は、政府機関の福祉の人が何とかするしかない。
 つまり、体罰禁止というのも、まず政府による拷問禁止、家庭内での暴力取り締まり、といった大きな時代の流れ。
 それでも体罰禁止に対し、微妙な難色を示されるのはなぜか。文化的な惰性があるのかもしれない。「昔の親もこうやって育てていた」と。実際のところ、江戸時代までさかのぼれば、やってきた宣教師とか外国人が、「むやみに叱ったり叩いたりせず、おおらかに育てている」と感心していたのだが・・・。

 (管賀江留郎「戦前の少年犯罪」4ページ。より詳しくは、同書132~133ページで参照されている江森一郎体罰の社会史」にあるようだ。私は未読。「戦前の少年犯罪」は、ふざけた文体で好みが分かれるだろうが、資料集として役に立つ本。)

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 その他に、ギロビッチ「人間この信じやすきもの」(認知科学選書)も参考になるだろう。「叱ること」の心理的錯覚について、実験結果付きで書かれている。