馬と鹿と野と郎の日記

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

オウムから20余年。日本人とは。

 オウム真理教の教祖と教団幹部の死刑が執行された。死刑の執行自体は、今の日本だったら法相の気まぐれで決まっているようなものなので、特筆すべきことは何もない。
 オウム事件は、事件そのものの凶悪性もさることながら、実行にかかわった幹部たちが誰もかれも一流大学を卒業したエリートだった、という点が日本社会に深刻な衝撃を与えた。

 たとえば今回死刑が執行された一人、井上嘉浩死刑囚は、溜めた小遣い1万5千円を仏教の経典につぎ込み、バブルの時代に疑問を持って、「俺たちは本当に幸せなのか」という詩を書く若者だったという。その末路がオウム事件というのは極端な話だったが、オウムが社会に突き付けた若者の生きづらさとか、大げさに言えば実存的不安や死生観の混迷を、社会は受け止めきれなかった。
 ワイドショーの騒々しいオウム叩きを通じて、日本の世間が日本人に植え付けたのは、「オウムなんてイカれたカルトにはかかわらず、さっさと社会の適応しなさい」という見るも無残な回答だった。将来の不透明感から若者が安定した家庭を築くことも難しくなり、今の若者にあるのは「仕事」くらいなんじゃないのか? 
 ワタミユニクロにこき使われようが、とにかく働いていれば「ナマポ」の世話にならず社会に迷惑かけてないから「エライ」という、心底くだらない価値観が、ワーキングプアブラック企業が問題化される00年半ばまでには確かにあった。今でもあるだろう。
 就活に失敗して自殺する若者とか、電通の自殺した若い女性社員とか、はた目には「なんですぐに自殺してしまうのか」と思うだろうが、今の若者を支えるのが「仕事」だけなら、まぁ特に不思議もないだろう。とりあえず日本社会は、仕事をしなくても命は尊いのだから、生活保護バッシングをやめなさい。それから若者の自殺対策に取り組め。

 
 参考記事

(死刑執行 オウムが残した問い:1)教祖語らぬまま 若者集めた「カルト」、凶行の末:朝日新聞デジタル

(死刑執行 オウムが残した問い:2)逮捕後の側近、帰依も悔いも:朝日新聞デジタル