馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

銀英伝における無能と有能。

 「銀河英雄伝説」については、よく「無能な奴が無能すぎる」という指摘があるのだけれど、田中芳樹作品のベースになっている昔の歴史小説(時代小説)なんて、みんなそんなもんよ。
 むしろ銀英伝においては、「よくもまぁこれだけ」といえるほど優秀な人間のタイプが描き分けられている。多彩な有能、つまり「英雄」の群像に比べれば、無能な人間の描写が単純で平板。その落差に違和感が出てくるだけ。しかも史実を題材にした歴史小説と違い、資料を見直して再評価されるといった流れもないので、どうしてもしょぼい奴がしょぼいままになる。
 司馬遼太郎作品なんかも、「今となっては資料が古い」といった面があるわけだから、銀英伝も時代に合わせてアップグレードしていい、とは思う。ただ、歴史マニアの知識が増えて「今川義元は、実は有能だったんだ」とか、個々の人物の再評価は緻密になっているが、それを全体像の中に落とし込めるのは大変だし、創作者はやりづらくなっているだろう。

 とはいえ、個人的な印象では、読者・視聴者の素朴な感性は変わっておらず、要するに「信長はかっこよく」とか抑えるべき点は変わっていない。
 史実とのずれや個々の解釈に批判があっても、司馬遼太郎作品が今もあれだけ人気なのは、それを超える魅力ある全体像がないからだ、ともいえる。資料の解釈が緻密なだけでは、面白くないし人気も出ないのだ。
 17世紀の哲学者、バルフ・スピノザの言葉。「とにかくすぐれたものは、すべて稀有であるとともに困難である」(「エティカ」)