あのさ、地方の局の不祥事が仮にあったとして(小さなミスはあったが刑事罰には問えない)内閣とんだら、昭和10年代の軍務大臣現役武官制より怖いわ。地方の一般職員(仮に共産党員)が内閣つぶせる
— 石井孝明 (@ishiitakaaki) 2018年3月4日
RT野党「事実なら内閣総辞職を」=森友文書疑惑:時事 https://t.co/epdJvRSyPG @jijicomさんから
石井孝明氏は、「軍務大臣現役武官制~」とか的外れな事を言っている(ほかにも複数の人が、この歴史事例を挙げている)。
戦前に軍部が勝手な主張をしたり、文官が島宇宙のセクト争いをやっていたのは、それぞれの組織が内閣の下に統率されておらず、「天皇大権」の建前で、天皇に直属していたから。戦前の軍部大臣現役武官制というのは、首相に閣僚への命令権がないという首相権限の弱い時代に、軍部が「大臣になる人を出さないよ」といって突っぱねた問題。・・・つっても、こんな現代史の基礎知識、軍部大臣現役武官制を知ってて、知らないはずないんだが。
今、とりあえず権限の問題としては、首相は官僚を統率できてなきゃいけない。
個人的に、森友自体は小さな問題だと思う。10億円相当の土地が1億円で売却されたのが、確かに不正だったとしても、新国立競技場の無駄遣いなどに比べれば小規模な額である。だから、早々と見直しを迫られた新国立競技場に比べ、ああも安倍首相と閣僚は悠揚としているのだろう。
しかしこの問題の副産物として、佐川宣寿氏など今の政権におもねる官僚たちの小ささ、色々なことが満天下に明らかとなったのは収穫だった。
公文書改ざんの疑惑を、「一地方局のやったこと」「下っ端官僚のやったこと」と強弁している人たちは、森友問題の全体像を、もう一度整理すべきだ。
前川喜平氏の告発が「ガールズバー通い」というスキャンダルでつぶされそうになり、「交渉記録は破棄した」という佐川氏を安倍内閣は「適材適所」で国税庁長官に栄転させ、国会招致は「所管が別なので」と無理のある理由で拒否している。忖度するものが守られて、しないものがひどい扱いを受けるという流れの中で、公文書改ざんまで「官僚個人のやったこと」になるのなら、「悪いことをしなさい。by安倍そーり」という署名入りの命令書でもなければ、安倍内閣の責任は存在しなくなる。
石井某氏は、他のツイートで露骨に保守的な歴史認識を示している。だからというわけではないが、「官僚個人のやったこと。内閣の責任ではない」という人たちは、南京事件否定論者と似た論法を感じる。彼らはまず「虐殺はなかった」といい、蓄積された証拠を突き付けられて苦しくなると、「政府の命令ではなかった」と日本軍や政府組織の責任逃れをしようとする。
まぁ、総司令官・松井石根にどこまで責任があるのかという問題は、歴史家の間でも議論が分かれている。概していえば、笠原十九司氏のように左翼系は手厳しく、秦郁彦氏や半藤一利氏のように保守系は同情的だ。
とはいえ、南京のことは偶発的で例外的な事件ではない。その後日本軍は、シンガポールでもマニラでも虐殺事件を起こすことになる。南京の時点で、日本軍組織の体質が反省されたり改善されることがなかったから、二度も三度も虐殺事件が起きたのだ。
たとえばほかの例として、北朝鮮政府が2002年の日朝会談で拉致事件を正式に認めたとき、故・金正日総書記は「軽挙妄動分子がやった」こととして責任逃れをしようとした。この弁明をまじめに受け取る日本人はいなかったが、仮にそうだとしても、拉致事件の最高責任が金日成と金正日指導者親子にあることは、変りがない。
安倍政権を擁護している人たちは、知らず知らずのうちに感覚がマヒしている。どうせこの寛大な基準は、共産党や立憲民主党には適用されないだろう。だから知らず知らずのうちに、日本人は「安倍政権を支持する」という選択肢しかなくなったようだ。
「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)