馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

左右の不毛な批判合戦より、考えるべきは自由と平等の問題。

 安倍内閣は、裁量労働制は撤回せざるを得なくなったが、高度プロフェッショナル制度はこのまま押し切るつもりのようだ。しょせん自民党経団連など財界を支持基盤に持つ自民党が、労働者のための働き方改革なんてできるわけがない。
 「安倍政権の働き方改革に期待」なんて、のんきなことを言っていたルンペン・プロレタリアートは目を覚ましてどうぞ。
 ただ、そういった表面的現象とは別に、「働き方改革」の問題は根深いような気がする。連呼されていたのは「自由な」「柔軟な」「多様な」~働き方というやつで、ここではアメリカ型資本主義のように、「自由」が悪用されている。

 アメリカ人が「自由」を重視して、再分配とか格差の是正といった「平等」に、比較的無頓着なのはよく知られている。保守的なアメリカ人にとっては、所得税といった累進課税すら、「個人の財産権・所有権を侵害している」と映るらしい。
 河野仁「<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊」によると、アメリカの歴史上、軍隊・兵士についても自発的な愛国心で志願することが尊重され、意外や徴兵制にはナーバスだったらしい。南北戦争とか太平洋戦争とか、大規模な戦争が起こると兵員不足を解消するため実際上の要請で徴兵制が敷かれるが、平時は志願兵制を基本としていた。(くわしくは、第1章の2節「志願社会アメリカ」)
 もちろんアメリカは、なんでもかんでも自由放任の社会ではなく、たとえば近年ではエロ漫画等の表現規制が進んでいる。日本のほうが、規制案が提起されても「表現の自由との兼ね合いもあるので、慎重に・・・」とごちゃごちゃ議論が続いてお流れになっている。これは価値観ではなく、政治的な決断が早いか遅いかの違いだろう。
 安倍政権もまた、なんでもかんでも自由を尊重してはいない。海外に慰安婦像を設置する「自由」については文句を言ったりする。

ドゥテルテに表現の自由を説かれる国と、ドゥテルテに人間の尊厳を説かれる国 - 法華狼の日記

 逆のパターンとして、よくネットでネタになるのは、「リベラル派のくせに(少年漫画の)エロ表現をけしからんと言っている」といったたぐいだが、そもそもリベラルについて根本的な誤解があるようだ。リベラルとは、市民の自由を尊重して放っておけば、あとは平等も達成されるだろう、という脳天気な思想ではない。
 私が考えるに、こんな相互批判は、たいてい党派的に突っつきあったりいちゃついたりすることにしかならない。右とか左のダブルスタンダードをいちいち批判するより、もっとやるべき議論があるのではないか。
 「福祉国家ファシズム的リスク」でも書いたように、福祉国家もいいことばかりではない。スウェーデンでいち早く導入されていた障碍者への強制不妊手術や、近年復活した徴兵制など、影の歴史や日本のリベラル派に到底受け入れられないこともある。

 スウェーデンの強制不妊手術については、新聞記事によると、90年代ごろ問題にされてから、政府による謝罪と補償が進んだ。今、日本でも強制不妊手術に対する賠償などが検討されている。
 間違った政府の干渉と介入を、どうふせぐか。市民の自由と福祉と平等の度合いとか・・・、リベラルが考えるべきことはたくさんある。

 書誌情報

『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊――日米兵士が見た太平洋戦争』(河野 仁):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

 (私が読んだのは、講談社選書メチエ版。)

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