馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

みんな貧しくなった。「失われた20年」という鬼胎

 「国難突破解散」とな。相変わらず酸っぱいネーミングセンスは置いといて、なぜ消費税増税なのか。
 新聞で、ある学者はこう言っていた(ソースがどこか忘れた。うろ覚え程度の話なので、名前はあげない)。「この失われた20年、低所得層だけでなく、富裕層の所得も減少していった。金持ちがより重く負担しろ、というのはもう通用しない。消費税で国民が公平に負担しよう」
 富裕層の所得減少。確かにデータの上ではそうなるらしい。この20年の不況は、金持ちも貧乏人も一緒に貧しくなった。金持ちが貧乏人を搾取して豊かになっている、という古典左翼的な認識は、「失われた20年」に当てはまらない。
 いつだったか上野千鶴子氏が、「みんなで貧しくなるしかない」といって憤激を買っていたが、上野氏の頭は10年か20年遅れている。「みんな貧しく」はもう実現している。(東大名誉教授の上野氏の私生活では実現していないようだが…)
 そもそもなぜこの20年、「失われ」ていたのか? それをきちんと解明せず、自然現象のように不問に付して受け入れるなら、増税したとき、みんな貧しくなった20年のサイクルが、さらに悪化して進行するのではないか? 増税と不況がグルグルとループするのでは?
 福祉を充実するためには、増税が避けられない、という見解がある。景気回復や経済成長だけでは、福祉の財源を賄えないという。経済に詳しくないので、とりあえずそれが正しいと仮定してみても、今の日本国民に「増税すれば福祉が充実する」というような、政府と福祉に対する信頼感など存在しないだろう。

 「生活が苦しくなる」という不安から、消費が冷え込み景気が悪化する害こそが、耐えがたいほど深刻なのではないか。
 私としては、当面「福祉の充実」を優先すべきだと思う(松尾匡氏や、ヨーロッパの左翼政党は、量的緩和マネーを財源にすることを提唱している)。北欧諸国のように、国民に政府と福祉への信頼ができれば、増税も動揺を招くことはなくなるはずだ。