関東大震災の際に発生した、朝鮮人虐殺。この事件については、1年前だったか2年前か、中途半端な知識で某氏を批判したら、あれこれ某氏が反論してきて、すっきりしない文章や議論で終わってしまった。あやふやな知識で語ると同じ轍を踏むので、犠牲者数の問題は避けて考える。
「碑文の犠牲者数に根拠がない」
仮にそうだとして、そのことは古賀俊昭議員が主張するように、追悼文をやめるほどの理由なのだろうか。広島の原爆の犠牲者数は、アメリカ側と日本側で異なっている。日本側の見積もりのほうが多い。それでもオバマ元大統領は広島で追悼した。
オバマ氏が原爆投下を「謝罪」するのか否か、注目を集めたが、「犠牲者数の違い」が話題になった記憶はない。広島を訪問して追悼する歴史的意義に比べれば、些細なことだろう。
さらに、今まで慣例的に送られていたらしい追悼文を、関東大震災の大法要と一緒くたにして取りやめるというのは、ますます理由として弱い。弱い理由に弱い理由を重ねて、小池百合子都知事は追悼文を辞めてしまった。
さらに右翼は言うだろう。「当時の新聞に、朝鮮人の暴動の事実が載っている」と。それは一般的知識通り、やはり誤報であったようだが、それでも震災直後に窃盗やらなにやら、(朝鮮人による)火事場泥棒はあったらしい。
某氏の見解はこうだった。「虐殺は悪いが、火事場泥棒もそれはそれで問題。朝鮮人の犯罪の事実もありのままに報じよ」 一民族のうち、誰かが火事場泥棒をしていれば、民族ごと虐殺していい、などとは言ってない。
しかし非常にイラつくのは、「事実をありのままに報じよ」といって、結局「どっちも悪い」「朝鮮人に原因があった」というくだらない主張に落とし込みたがっている、ように見えることだ。その点、まとめサイトのネット右翼は、ゲスな本音が丸出しで分かりやすい。某氏も、「彼ら」に向けて発信しているように見える。
最近アメリカで、トランプ大統領が白人至上主義の団体について、「反レイシストの団体も暴力的だった」「誰も言いたがらないが、双方に責任がある」といってごうごうたる非難を呼んだ。日本でも「在特会は悪いが、しばき隊も暴力的で悪い」とか、どこを向いて誰に対していっているのか分からないような、中間をとっているだけの無責任な意見が多いので、トランプ発言の何が問題なのかすらわからないだろう。
かつてフランスの哲学者サルトルは、フランスの植民地アルジェリアが独立戦争を始め、アルジェリアや本国フランスでテロを起こしたことを、「良心的なフランス人」が、「暴力的な植民地支配はよくないが、アルジェリアのテロも非難されるべきだ」などとふるまったことを、猛烈に非難していた。
(私の持っている本では、フランツ・ファノン「地に呪われたる者」に、序文として収録されている。たぶん、サルトルの著作にも収録されている。)
こんな「遠い」例を出さなくても、日本人だったら、アジアの国々が、植民地時代に繰り返し武装蜂起したことをよく知っているだろう。それをいちいち「双方に責任がある」とかいうめんどくさいやつはいない。
しかし現在の日本では、実に安易に、何の考えもなく「双方に責任がある」「在特会を作った原因を見るべきだ」などといわれてないだろうか。「レイシストの在特会相手なら、何をやってもいい」というのはいかにも考えのなさそうな言動だが、「しばき隊も悪い」というやつから、深い思索やより良い対処法、レイシズムへの取り組みなど聞いたこともない。
しばき隊批判も、反レイシズム活動や、反在特会の活動を続けてきた人が、しばき隊の暴力的なやり方を批判するとかなら、まぁわかる。キング牧師のような黒人の権利運動の指導者が、「なんであれ暴力はいけない」と反レイシズムの暴力を非難するなら、感動を持って受け入れられただろう。
しかし「双方に責任がある」といったのは、トランプ氏である。トランプじゃん。そして「朝鮮人の暴動」を非難しているネット右翼は、9割9分、9条護憲論者をあざ笑って、「中国に攻め込まれたら、自衛のため戦争するのは当たり前」と言っている連中だろう。
だったら朝鮮人が、民族独立のために武装蜂起しようが暴動を起こそうが、当然のことである。日本人に認められた自衛戦争の権利は、当然朝鮮人にも存在する。
そして、シリアを限定攻撃し、北朝鮮と武力衝突も辞さない構えのトランプ政権。「アメリカも暴力的で、双方に責任がある」とは、もちろん言わない。
トランプ大統領も、ネット右翼も、都合の良いときだけ、あらゆる暴力を非難する平和主義ですか?