馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

朝日さん、話が少し高尚すぎませんかね?

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 最近、朝日新聞のオピニオン面が、「多様性とは何か」みたいなテーマで、続けて識者の寄稿を載せている。

 そこでおおよそ語られていることは、いわく「多様性をあおられているが、ビジネス上のイノベーションや効率のためになっている」「ラベリングされ、ラッピングされた個性や多様性」などなど。
 確かに言いたいことは分かる。まぁまぁ興味深い。しかし、少しばかり話が高尚すぎませんかね?
 企業が多様性をうたい、障碍者雇用枠などで集めた人材に「イノベーション」を期待するというのは、今風の鼻につく流行かもしれない。しかし、雇われて仕事して給料をもらっている以上、使用者とかに求められている役割というのは、当然あるじゃない。
 「外国人や障碍者に、イノベーションが求められている」というのは、「清掃員が床を拭くことを求められている」というのと、そんなに違わない、と私は思う。

 もちろん、もっとのびのびと、自発的意志で自由に働くこともできるだろう。それは清掃員が、きっちり床を拭く真面目な清掃員にはならない自由があるように。

 

 もともと朝日新聞が、読売や毎日と違ってインテリ向けの新聞だったせいか、ときどき妙に小難しい違和感の表明や議論がある。
 90年代にいち早く宮台真司氏を起用していたのも朝日新聞だった。本のタイトルにインパクトがあって、宮台氏の代表作になった「終わりなき日常を生きろ!」とか、今考えてみると、しんかい36こと山川賢一氏がつぶやくように、庶民は「日常が終わる」方がつらい。急病とかリストラとか。

 庶民は病気とか事故が一番怖いから、テレビじゃ健康法の番組、健康商品、保険のCMばっかりやっている。
 作家の雨宮処凛氏は、若いころアイデンティティーに悩んで、左翼右翼両方の政治集会に行ったそうだ。左翼の人たちの言ってることは意味が分からなかったが、右翼はなんかわかりやすかったので、右翼に染まったそうな。

 右翼活動家になった雨宮氏は極端なケースだろうが、左翼が「分かりにくい」「難しい」というのはいかにもありそうなこと。
 新聞ですら、読者からは「難しい」「分からない」という意見が、絶えず寄せられているらしい。

 
 ここで私の母方の祖父の話になるが、祖父は高校中退のせいかインテリコンプレックスがあったようで、周囲の家がみんな地元の地方紙を取っている中、祖父の家だけが朝日新聞を取っていた。

 さっきもいったように、「朝日新聞=インテリの読み物」と認識されていた時代があったんだよ。
 そういえば、当時は中流家庭が書斎に文学全集をそろえるブームもあって、祖父の家も、訪問販売に勧められるままに文学全集を購入して棚に並べていた。もちろん、祖父母は一度も読んでいない。
 そういう庶民がかっこつけで新聞を購読したり、読みもしない文学全集を買ってくれる時代は過ぎ去った。そのため、今活字文化は、「意味が分からない」「難しい」という人のレベルに合わせることが大きな課題になっている。

 
 障碍者が頑張って何かをやるなり成し遂げるなり、24時間テレビでよくやってそうな企画とか、あれを欧米では「感動ポルノ」っていうようになったじゃない。私もぶっちゃけああいうのは好きじゃないんだけど、そりゃあ人は感動しないよりも感動する方が好きなんだってば。
 いたって平凡な健常者でも、感動を与えないよりは、感動を与える方が好かれる。それと同じ。「障害者を食い物にしている」とかは、難しく考えすぎ。
 若いころは私もこざかしいインテリ気質だったので、宮台真司氏の本とか好んで読んでいたんだけど、大人になるとさすがに「難しい議論よりも、さっさと福祉を・・・」と思う。