馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

防弾少年団(BTS)の原爆Tシャツ問題。ディティールの失われた「被害国の歴史観」が気になる。

 防弾少年団BTS)という韓国の音楽グループが、原爆の画像がプリントされたTシャツを着ていた問題。擁護派は、「原爆が投下されて、朝鮮半島が解放されたことを書いているTシャツ」という。
 原爆投下そのものを喜ぶような不謹慎な内容ではなさそうだが、やはり、「原爆のおかげで朝鮮半島が解放された」という歴史観が、日本人には受け入れがたいだろう。私も受け入れない。

 小倉紀蔵歴史認識を乗り越える」が言及するように、韓国人の間で「原爆投下は正しかった」という歴史観は根強い。アンケート調査では、「正しかった」と答える割合がアメリカ人よりも多いという。
 「原爆投下のおかげ」という歴史観は、韓国・朝鮮人が被害者だった歴史に由来するので、「対等ではない」という意見もある。

 韓国で原爆を肯定することと、日本で慰安婦を侮辱することは対等ではない - 法華狼の日記

 抽象的な理念的次元では、そうかもしれない。しかし一方で、植民地統治の犠牲になった人たちから何世代も交代した若者が、しかも日本を股にかけて活動するミュージシャンが、もう一方の被害を無視したTシャツを着たことは、やはり無神経で配慮に欠けていたといわざるを得ない。
 「被害者」ではなく、「被害国の歴史観」という抽象的次元がすっきりしないのは、抽象的であるがゆえに、その他歴史的事実のディティールが失われていることだ。たとえばよく言われていることだが、被爆者の中には、徴用で広島・長崎に連れてこられた朝鮮人も多くいた。

 「どっちが加害国で、どっちが被害国だったか」という大まかな枠組みだけで、相手の歴史観に平伏するとかしないが決まるというのは、健全ではない。