馬と鹿と野と郎

「世人は欺かれることを欲す」(ペトロニウス)

「やりがい」は政府が決めることではない


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 全然集まってないらしい。
 東京五輪のボランティア募集については、「無償」ということが「ただ働き」として強く批判されているが、本当の問題はそこにないと思う。
 西日本の豪雨災害の際には、大勢の人が復興支援ボランティアで集まった。そこでは、ボランティアに大きな意義や目的があったからだ(できれば十分な報酬も支払われるべきだろうが)。それに比べて、五輪ボランティアに大した意味はない。五輪そのものに特別な思い入れや、深い関心があれば参加したくなる人もいるだろうが、そもそも五輪招致が五割くらいに反対されていた世論の中で、そこまで尽力してくれる自発性など望みようもなかった。

 募集の宣伝文では、学生に向けて「忍耐力、倫理観が養われる」などと呼び掛けている。アホくせぇ。忍耐力、倫理観というのも古臭い価値観だが、大企業や政治家の始めたイベントでただ働きして倫理観が養われるなら、偉大なる将軍様の命令で奴隷労働している北朝鮮人民は、さぞや高い倫理観と忍耐力の塊だろう。
 豪雨災害で困っていたのは、無力な市民だった。東京オリンピックがうまくいかず、困るのは誰だ? スポンサー収入をアテにしている大企業、森喜朗会長、小池都知事くらいではないか。個人的にはむしろ、少しは困ってほしい連中ばかりだ。

 お願いだからボランティア不足で存分に困ってくれ、森喜朗